増上慢と卑下慢 - コラム - 専門家プロファイル

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閲覧数順 2024年04月24日更新

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増上慢と卑下慢

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徒然日記
「この世に凄い人なんていないんだよ。」
私の師は、そのように教えてくれました。
【人を見る目を養う】http://ameblo.jp/mikatakakumei/entry-11890151486.html


ただ、人間というものは自分を必要以上に大きく見せようとするものです。
「私は色々とモノを知っている人間だ!」
と、自分の凄さを前面に押し出そうとすることもあるのではないでしょうか。


例えば、仏教やキリスト教を少し深くまで学んだとします。
元々、深遠な教えですから、誰かが聞けば「深い」と思うようなものなのです。
その学んだことを、「神からの啓示」とか「守護霊からの教え」などというように、いかにも自分が選ばれた人間で悟ったかのように見せる人もいます。
良い話しをしていても、当人が実践出来ていなければ何の意味もありません。


分かっていないことを分かっているように見せることを、仏教では「増上慢」というような言い方をします。
要するに自分を凄く見せようとする自惚れた心のことです。


本当に分かっている人というのは、自分が知っていることと、知らないことが分かっている人のことだと思います。
自分は分かっていると思い込むこと。
または、分かっていないことを分かったように見せるというのは、実のところ、何も分かっていないということなのですよね。


「いやいや、私はそんなに立派な人間ではありません。」
と自分を謙虚に言うような方もいるでしょう。
ところが、仏教ではそこにも落とし穴があると伝えてくれています。


自分なんて…と、一見謙虚にしているように見えますが、その裏では、こんなことを考えているかもしれません。
「こんな謙虚な自分は立派だなぁ。」
「アイツも自分を見習って謙虚な気持ちでいたらいいのに。」


謙虚な態度の裏に高慢な気持ちが隠れているわけですね。
これを仏教では「卑下慢」というように言います。
「自分は未熟者ですから…。」と謙虚に見えるけれども、「本当に未熟だよね。」などと言われたら、腹が立ったりするのです。


自己嫌悪に陥るのも同じようなものです。
何かで失敗したり、思う様に出来ないことがあった時、「自分は何てダメな人間なんだ…。」と落ち込むことがあるかもしれません。
ですが、その裏側に何が隠れているかと言うと、「本当は出来るはずなのに…。」という気持ちがあるのです。


最初から本当に出来ないと思っていたら落ち込むことなどありません。
自分を凄い人間だと思っているから、そのギャップに落ち込むわけです。


ただ、仏教はあれが悪いこれが悪いと言うだけのものではありません。
「本質は仏と同じで素晴らしいものなのですよ」…と伝えてくれているのです。
ところが、それを受け容れられないものなのですね。
いやいや、私なんて…と謙虚に振る舞おうとします。


「じゃあ、やっぱり悪人なんですね。」
と言われると、イラッときたりするものなのかもしれません。


善人と言われれば謙虚に見せ、悪人と言われれば怒り出し…。
「どっちやねん!」
とツッコミを入れたくなりますよね(笑)


善悪の違いを知らず、自分が何者なのかも分からない人が多いのかもしれません。
自分が何者なのかも分からないのに、そのことにも気付かず、もしくは知っている振りをして生きている…。
それが「分かっていない」ということです。


「人間は、大した存在ではありません。」
「人間は、とても素晴らしい存在です。」


矛盾しているように見えますが、実は同じことを言っています。
私も含め、人間は慢心した気持ちを持ちやすいものです。
自惚れないよう気を付けながら、学びを深めていきたいものですね(^_-)-☆


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