大半の人が聞きたくないと思う話し
-
徒然日記
2014-03-30 09:41
多くの方は、そういう「良い話」というものが好きなわけです。
ですが、自分を見つめる説教臭い話というのは嫌われます。
何故なら、誰しも自分の汚い部分を見たくないからです。
私自身、何度もそういうことがありました。
心の師である松井先生の言葉に反抗的な気持ちを持ったこともあります。
でも後になって分かるわけです。
「あぁ、間違っていたのは自分だった…。」と。
本当の心の話しというのは、良くも悪くも心の奥に突き刺さるものです。
「そんなこと分かってるよ!」
と反発したくなる気持ちが出てくるのは、心のどこかに「自分は凄い」という気持ちがあるのですよね。
最近こんな記事を書きました。
【本当は言いたくないこんなこと】http://ameblo.jp/mikatakakumei/entry-11803058919.html
【エゴへの怒りを乗り越えた先にあるもの】http://ameblo.jp/mikatakakumei/entry-11805626018.html
上の記事にも書いたのですが、本当はこんなこと言いたくないんです(笑)
前に松井先生の勉強会に出られている方が、こんなことを聞かれていたことがあります。
「なんでこんな当たり前の話しをしなきゃいけないんですか?」
「そうでしょう。だから僕も本当はやりたくないんだよねぇ。」
松井先生も本当はやりたくなかったわけです。
でも本当のことを知ると、せずにはいられないのです。
そりゃあ、良い話ばっかりしてハッピー♪みたいな感じでいけば楽なわけですよ。
だけれども、悩みの根本がエゴなわけだから、エゴを薄くしていかないと本当の意味で幸せにはなれないわけです。
本当の自由というものが何かも分からないわけです。
一時的な幸せに目を奪われている間は、苦悩が消えることは無いんです。
「誰も私のことを分かってくれない…。」
と孤独感に襲われることがあるかもしれません。
私自身も経験があるので、孤独感の辛さは良く分かります。
その孤独感が何から起きるかというと、世の中の道理に逆らって自我ばっかりで生きているからなんですね。
自分があるという思い込みからとも言えるかもしれません。
また別の言い方をすると、自分のことを思い出した…ということでもあるんです。
自我があることで周囲との壁を作り孤独感を味わうこともあるのだけれど、自我というものが無ければ幸せを感じることも出来ないのです。
生きている限り自我は無くならないけれど、自我を薄くしていった時に、悩み苦しみも薄くなってきます。
そうしたら孤独感も無くなるんです。
頑なになればなるほど、仮の幸せというものに捉われるようになります。
見つめたくも無いエゴの心。
でも、その中には至極で一生幸せに生きていける宝が入っています。
肥溜めの中に金銀珠玉が隠されているとでもいうのでしょうか?(笑)
その宝の在り処や取り出し方まで、全て分かっているんです。
「そんな上手い話があるわけがない!」
と疑うのも尤もなわけですが…。
まずは一年、しっかりと学んでみて欲しいなぁ…と思います。
※メールマガジンだけでしかお伝えしないお話しもあります!
見方革命家まーくのメルマガ登録はこちらです♪