音楽の魔法(音楽之友社刊より引用)
わたしのコンサートに、音は存在しなかったのよ。
完全な静寂だった・・・・・・。
みんな、心のなかで、自分の音楽を作らなくちゃいけなかったの。
~ヨーコ・オノ(パフォーマンス・アーテイスト)~
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もう一年たってしまった。
5年前から毎年、年末には所沢でコンサートを開催する事にしている。
今年で5回目。今まで色々な方をゲストとしてお招きし、一緒に歌ってきた。
さて、今年はどのような趣でと考える時期になった。
そこで、はたと原点の気持ちにもどるきっかけを与えてくれたのが上記の言葉。
なんのためにコンサートを開くのだろう・・・?
学校の文化祭のように、日頃の研修成果でもあるまい。
チケット収入で、数ヶ月くいつなぐための手法でもあるまい。
たかだか200名くらいの動員では・・・・
ましてや「この年でも元気に頑張ってますよ!」という健康証明でもあるまい。
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どうして、僕はコンサートを開きたいのだろう・・・?
何のために?
その入り口にあるのが次の分析。
「音楽に接するには3つの厳然とした立場がある」
作詞や作曲という立場で、その素材を形にしてゆくこと。
演奏するという立場で、そこに自分を投影してゆくこと。
生まれた音楽に観客という立場で自分を投影してゆくこと。
コンサートというのは、上記の2つ目、3つ目にかかわりを持つ事です。
オノヨーコさんは3つ目の立場を強調しているのでしょう。
ステージの上での僕は、2つ目の立場。
ある意味、それは役割と考えていいかもしれません。
ただし、それは啓蒙的であったり、上から目線であっては観客の方々には失礼な話です。
全くシンプルに自分を投影し、自分を開いてゆける力が必要です。
観客の皆さんが、自由に行き来できる場を、そこに用意する事。
それがステージに立つものの役割です。
最近、そのような演奏に出会う事が実に少なくなりました。
そういう歌い手が少なくなっているような気がします。
自省を含めながら、もう一度ステージに立つことの意味を考え直さねば。
近づいてきた本年のコンサート。
さて、僕の出した結論。
また次号以降にお話します。
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