- Style Reformer 小林俊夫
- Style Reformer 『猫背改善専門スタジオ「きゃっとばっく」』代表
- 東京都
- ピラティスインストラクター
先日
ランニングをしながら
ふと考えた
もし自分に
一生生活に困らないだけの資産があるとして
自分の余命が1年と分かった時
お金で時間が買えるのなら
1年間をいくらで買うだろうか?
逆に
現在、自分の時間を売るとすれば
1年間をいくらで売るだろうか?
「1年間を300万円で売ってくれない?」
と聞かれたら
売る人もいるだろうけど
きっと
多くの人は売らないのでは?
少し話は変わり
やりたいことがあるけれど
現在の安定した生活や収入の為に
やりたいことに挑戦をしない人というのは
その年収で
自分の大切な1年間を
売っているのと同じではないだろうか?
よく
「~の為に」
という言葉を使う人がいるけれど
それは本当に
「~の為」
なのだろうか?
「~の為」
ではなく
「~のせい」
にしていないだろうか?
「~の為」と想っている
~さんは、本当にそれが幸せなのだろうか?
例えば
「父さんは、お前を大学にいかせる為に
自分の夢を諦めて必死に働いたんだよ」
なんてドラマのワンシーンの様なセリフを言われて
その子供って、本当に嬉しいのかな?
自分自身を含め
やりたい何かが見つかっても
やらなくて良い理由なんて
その何十倍もたくさん転がっていて
その やらなくてよい理由を
正当化するための言い訳も
果てしなくあるのだけれど
そんな理由に目を向けて過ごしていても
楽しい日々は送れない気がするんだよね
おせっかいオバちゃんタイプの自分も
「~の為に」と想うことがあるけれど
本当にそれは「~の為なのかな?」
「~のせい」にしていないかな?と
自問自答を繰り返す
どうせなら
「我が生涯に一片の悔いなし!!」
と言って
儚くなりたいものだな~
走りながら
ふと そんなことを考えた
としお