
- 山藤 惠三
- 有限会社エスオープランニング 代表取締役 クリエイティブディレクター
- 東京都
- クリエイティブディレクター
対象:クリエイティブ制作
- 赤坂 卓哉
- (クリエイティブディレクター)
- 赤坂 卓哉
- (クリエイティブディレクター)
「さようなら」、広告、映像の企画・演出術 #6
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デザインと企画、その気持ちイイ関係。
企画・デザイン、その発想法
2009-12-29 08:30
しかしながら、ビジネスでは、インターネットや家族の団欒、携帯のコミュニティーなど、
ミクロによく見ると少しづつ新しい消費の芽が出てきているようです。
2009年のコラムも、これで終わりです。
感謝の気持ちをこめて「さようなら!」
2010年も、また、よろしくお願いいたします。
こんにちは、山藤(サンドウ)です。
「そうであるならば○○しよう」と未来に対して何かを明言することはない。
ただ「そうであるならば」と言うだけで、すべてを語らずに過去に区切りをつけてしまう言葉。
曖昧さを残しているからこそ、
「さようなら」には、そこはかとない余韻が感じられるのです。
曖昧さに対する耐性のなさ。
これこそが、人々が「さようなら」を言わなくなった理由の一つではないだろうか。
「さようなら」は言うほうも、言われるほうもその曖昧さを受けとめるだけの余裕が必要なのだ、
と評論家の澁川さんは言います。
この曖昧模糊とした「さようなら」と言う言葉、
たしかに、ビジネスシーンではタブーな言葉ではありますが、
物語性のある広告、余韻をのこす映像、
そしてなによりも、人間の生きていくうえでの、はっきりと決め付けない生き方、
今のぎすぎすした社会の中で、癒しを求めたり、オフな気持ちを提示しているようで
私にとっては、とても印象にのこりました。
作詞家、阿久悠さんが言った、
人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かどうかが決まる。
ということは、
「さようなら」と言う言葉も使わなくなった人生なんて、面白くない!
「さようなら」をたくさん使う人生こそ、温かみとやさしさあふれる人生だ!
と言う風にも理解できます、
このメッセージはとても、私のこころを掴みました。
あまり頻繁には使えませんが、この時期、一年に一度くらいは、今年にしっかりと、
「さようなら」と言ってみる人生も、いいんじゃないかな?
と思った、師走のある日でした。
2009年、さようなら、そして、2010年、こんにちは!
参考コラム : 評論家、澁川祐子さん 企画・編集/須藤 輝&連結社より
参考書籍 : 『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』竹内 整一著 ちくま新書
オールアバウト/専門プロファイル、山藤