今回のテーマも「自分の与えたものが、自分の受け取るもの」という、この世の法則のお話しです♫
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ですが今回は、前回とは逆の発想で、「与えていないから、受け取れない」という、逆も又真なりのパターンでお話しを進めて参りましょう♫
つまり「与えない」というものを与えると、「受け取れない」というものを受け取るというパターンです。
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・・・ん? あれ!? 皆様、ついて来れていますか~~~???(笑)
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世の中を観ておりますと、この世には、人(我が子含む)に「感謝しろ!」と求める、他人に不平不満を抱える人間で溢れていますね~。(^^;;
こういう方は、ご自分に対して被害妄想の激しい方が多く、いつもどこかピリピリピリピリと神経を尖らせて生きていらっしゃるので、それが周りを萎縮させているのですが、
得てしてそういう方は、ご自分を冷静に客観視できていらっしゃらない方が多く、その原因も又、常に「他人のせい」にされておられる様です。(これを「負のスパイラル」と言います)
ですので、人に対しては常に「私はこんなにやってあげているのに!」という感覚であり、ご自分が選ばれて進んで来られた人生にも関わらず、その「自己責任」という捉え方が、ご自分の中に無い為に、
ご自身に対して、いつも被害妄想的に「自分は犠牲者だ!」という思考癖で物事を捉えてしまう為に、ご本人は大変苦しい悪循環の中に生きておられるのです。
(; ̄O ̄)
これは何から来るのかと申しますと、やはりそういう方の根底には「自己卑下」と「自己否定」が巣食っていて、ご自分を否定されておられる所から生じている現象なのです。
こういう方は、例え周りがどんなに感謝をしたとしても、認めていても、自分がそれを人に与えていない為に、それを受け取る事ができないのですが、当人はその原因が自分に有るとは思わないのですね。
(; ̄O ̄)
ですので、こういう「自分を犠牲者」と感じる方は、常に自分が何かを「与えた」相手に対して、「感謝」を要求するという性格になるので、人はその方とは関わりたくなくなります。
何故なら、そういう方に感謝をしても、その方は受け取らない(受け取れない?)からです。
そういう「自己否定」の方といると、こちらがいくら与えても「もっと、もっと!」「足りない、足りない!」と言われ続けるのですから、付き合う側の感謝の思いや行為は不毛となり、付き合う度にその方の「お守り」をしている様になりますから、当然ですね?
そしてその方は、人が離れて行く原因がご自分にあるのにも関わらず、「自己責任」の発想が無いので、又その事に対して不満を持つのですから、正に底無しの悪循環の世界であります。
(こういう方を「エナジー・バンパイア (※飢えた吸血鬼は、血を吸っても満足する事ができず、絶えず血を吸わせてくれる獲物を求める)」と表現される方もいます)
そうして「自己否定」の方というのは、絶えず満たされない思いの「自己憐憫」「自己卑下」の人生を歩んでおられるのです。
でもこれは、ご本人の問題なので、周りはどうしてあげようも無いのですね。
( ; _ ; )
そういう「被害者意識」の強い方は、「自分の人生は、自分が選んで来たのだ」という自己責任を放棄している故に、
人に、或いは家族に対して与える時でさえ、「○○の為に、やってやっている」という犠牲的な思考=傲慢な思考になりますから、そのバランスで人には「感謝」という見返りを、強制的に求める様になってしまうというカラクリなのです。
( ; _ ; )
そして周りの方達も、「全ての原因は他人ではなく、自分に在る」という、全ての人に当てはまる「自己責任」の法則に気付かれていない為に、そういう方に振り回されてしまい、
「原因は私にあるのではないか?」とか「私が悪いんだ」とか「自分に感謝が足りないからだ」と、その「自己卑下」「自己否定」が伝染して行く悪循環にハマるのです。
(; ̄O ̄)
この「負のスパイラル」から抜け出すには、一人一人がそのカラクリに「気付く」事しか無いのですね。
《゚Д゚》☆彡
この様に、「人(我が子含む)に感謝を求める」方というのは、実はご自分こそ「感謝をしていない」人間だという事なのです。(^^;
もしご自分が「感謝をしている」なら、その方は「人から感謝される」というものも受け取れているはずですからね。
この様に宇宙というものは、人間の様に「情で考える」という曖昧なもの・不確かなものは無く、実にクールでシンプルな「自分の与えたものしか受け取れない」という法則で動いているのです。
私は思うのですが・・・。
「感謝」というものは、与えた側が求めるものではなく、与えられた相手が自然に「感謝」の念を持ってしまうというのが本物ではないでしょうか?
もし、与えた側が要求するならば、「見返りを求めて、与えた」という「愛」からは程遠い行為を与えて来たという事の証しであり、
そこには必ず「与えた側が犠牲的感覚に陥り、与えられる側も罪悪感を持つ」という、ネガティブな結果しか生まれないのです。
( ; _ ; )
ですので、やはり一人一人が「自己責任」という、この「真実の愛」には不可欠な根幹に気付く事が、お互いの幸せを育んで行く事であり、
そういう者同士ですと、最後は「お互いに感謝する」という、素晴らしい世界に辿り着けるのではないでしょうか?
もし、その様な世の中になれたら、私達はこの世に居ながら「天国」を味わえるという事になるのでしょうけれどね~~~!?(笑)
《゚Д゚》☆彡
昨日撮れた、美しい夕暮れ♫
雲の存在が、空の表情とグラデーションを、豊かに演出してくれるのですねぇ~♫♫♫
(^^ ♡
人に感謝を求める前に、大事なものがあります。
それは、人への感謝もそうですが、「自分自身に対しての感謝」をまずご自身に持たなくては、人様にも感謝できないというのが、この世のカラクリです。《゚Д゚》!!
ご自分に感謝できない方は、人からの感謝を受け取る事ができませんし、
そういう方は、人様へも "頭で考えた" だけの「偽善の感謝」しか差し上げられない事でしょう。
(; ̄O ̄)
「感謝」とは、頭でするものではなく、又人から強制させられるものではなく、ハートから自然発生的に生まれてくるものが本物です。《゚Д゚》♡ ♡ ♡
どのお方も、ご自分の中に「無いもの」は、人様に「差し上げる」事はできません。
☆_(_☆_)_☆
このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年