皆様は何かご自分で「失敗した」と思われる経験をされた事がありますか?
普通は「失敗しない人間が優秀だ」と、多くの方は思います。
ですので「自分はできるだけ、失敗はしたくない」と、誰もが思うものですね~? (^^;
人間であるなら、それは当然の感情であるとも言えますが、でも私はそれとは又ちょっと違う観点を持っています。
(^^ゞ
それは「失敗を経験した事が無い人は、人の痛みが解らない人が多い」という事です。《゚Д゚》!!
人間というものは、生まれつき謙虚なものではないのです。(^^;
人は人生で、色々な経験をする中で学んで行きますが、その経験を通して「何をどう感じたか?」という事で、傲慢にも謙虚にもなれるのが人間なのだと思います。
例えば、人がもし同じ経験をしても、人間が違えば受け取り方も違う訳で、それにより全く違うものをそれぞれが味わうという事にもなっているのですが、
その時に、特に受け取り方に大きな違いが出るのが「失敗してしまった時」なのかもしれません。
《゚Д゚》☆彡
私は何でも逆説的に考える事が趣味 (!?) なのですが(笑)、
もしかしたら、人間というのは「失敗を経験する為に生まれているのではないか?」と思える事があります。
《゚Д゚》!?
何故なら人間は「失敗から学ぶ」方が、より「人として、大きく成長できる」と思えるからです。《゚Д゚》!!
失敗を一度もした事が無い人は、失敗した人の気持ちになるという思いやりを持った人間になる事はできません。
人は同じ経験、或いは似た様な経験をしてみなければ、人の痛みというものを決して理解できないものだからです。(;_;)
又、人は失敗から学び、それをバネに自分から工夫する智慧が働き、真剣に努力を始めて、それがキッカケとなり、その後の大躍進に繋がる事になったりするのですから、
そう考えると、「失敗は、果たして失敗なのだろうか?」と思えて来ます。《゚Д゚》☆彡☆彡☆彡
そう!失敗というのは、その為にあるのです!《゚Д゚》☆彡
本当は「有り難~い」ものなのです!(笑)
失敗を「良くないもの」として怖れる人というのは、絶えず人の目ばかり気にして、いつも決められた安全な事しかできなくなり、その結果、守りの固い「無個性な優等生」になってしまいます。
そうしますと、いつも「結果ばかり」を気にするだけの人間になって行き、知らず知らず自分の心を感じない「無感動・無関心」な人間にもなって行くのです。(;_;)
特に人間は「完璧主義の優等生」などというものに囚われますと、気持ちが萎縮してしまい、本当の力が出せなくなるものなのですね~。
もし萎縮してしまうのなら、それは人間の取って「完璧」という事ではなく、単に「保守的」であるという事に過ぎないのかもしれません。《゚Д゚》!
「元々不完全に生まれついた私達は、"完璧でない事" が、人間としては "完璧" なのだ」と、聞いた事がありますが、私も本当にそうだと思います。《゚Д゚》♡
完璧でないから「完璧であろう」と努力する。
でも結果に拘わらない。
それが人間のできるベストであり、人として美しい "生きる姿勢" なのではないでしょうか?☆彡
「完璧に踊ろうと思うな。完璧に踊ろうと思うと、踊りが小さくなる。只、ベストを尽くせ」
これは私が現役の時に、知り合いの外国人のバレエダンサーから、彼が若い時に教師から教わった事として私に話してくれた、とても印象深い言葉ですが、
正にこれは、人間の人生にも当てはまる、素晴らしい教えだと思います。 ☆_(_☆_)_☆
人間にできる完璧とは、只「ベストを尽くす」事。
但し結果は後からのものなので、自然に任せて拘わらず、天に委ねる。☆彡
人間の心が健康でいる為には、「結果には執着しない」という事が一番大切なのかもしれません。
何故なら、結果には「因果の法則」が働くので、必ずしも自分の思い通りに行かないものがあるからです。
そんな私達ができるのは、絶えず「今の自分が、 "善い原因" を作る生き方をして行く」という事。
それが、人として "完璧" なのだと私は思います。(^^☆
そういう心で生きれば、人生には「失敗」というものなど無いのです。《゚Д゚》☆彡☆彡☆彡
先日、公園をお散歩した時に撮った写真♫
都会のど真ん中でも、ふと視界が開ける様に広い空が見える場所がありますね~。☆彡
このコラムの執筆専門家

- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年