- 橘 凛保
- 社団法人橘流恕学アカデミー 理事長 講師
- 東京都
- マナー講師
対象:婚活
- 舘 智彦
- (しあわせ婚ナビゲーター)
原爆資料館のリニューアルとカンナ
1945年から10年後の1955年に広島原爆資料館ができた
1991年にリニューアルがありました
その時掲げられたのがカンナの写真でした
当時の館長のHさんは1945年のお生まれ
実は母親のお腹の中で被爆した
この話は直接Hさんからお聴きした話です
Hさんは被爆手帳は持っていたものの
自分が被爆者であることをかくしていた
当時の被爆した方々がほとんどそうしたように
Hさんの父親は被爆で即死
身重の母親が市内を夫を捜して歩き回った
父親のバックルと時計がみつかった(現在展示)
それから母親1人の手で育てられたHさんは
苦労して大学を卒業
安定した就職先として市の職員となった
最後の任務が原爆資料館の館長職だった
しかも大改修が巡ってきた
Hさんは 長年の想いをリニューアルにかけた
被爆者であることを公表した
悲惨なものを見せつけてしまうかもしれない
しかし 本当のことを知ってもらいたい
悲惨さに目をそむけず 事実をきちんと伝えたい
そんな思いで 展示物の採択に取り組んだ
1枚の写真をみつけた
カンナの写真だ
松本栄一氏が思わずシャッターを切らずにはいられなかった
真っ赤なカンナの写真だった
Hさんは
「こんなに悲惨なものに向き合わせてしまう来館者に
帰るときには『希望』を持って帰って頂きたい」
そんな思いでカンナの咲く1枚の写真に
その想いを託そうとした
ところが広島市の花は「夾竹桃」
掲げるのなら「夾竹桃の写真」をと市長に言われる
しかしHさんは諦めなかった
カンナの花の写真にこだわり続けた
皆の反対を押し切ってまでも・・・・
「カンナの花を掲げるのならば被爆した花全てをかかげろ!」
それでは 「花の写真展だ」と反論した
何としてもカンナの花でなくてはならない
押し切って最後の展示物として
来館者に「希望」を感じて帰ってもらおうとした
壁一面の大きな写真です
カンナの写真 左が当時の館長Hさん
言葉を添えました
「75年は草木も生えないと言われたこの広島に
新しい命が息吹きました」と・・・・
私は2004年初めて原爆資料館を訪れて
悲惨な展示に 当時にタイムスリップしたような錯覚に陥り
「助けて!」の声に何もしてあげられない自分を呪いました
しかし
最後の写真に救われたのです
Hさんの描いた通りに私は「希望」を貰うことができて
現実に戻ることができたのです
『カンナにお礼がしたい』
そこから私のカンナの旅は始まりました
しかし 広島の人たちがこの写真があることさえ知らない
カンナが咲いたことも知らない
なんで・・・・
理由はこうです
リニューアルされた資料館はとてもすばらしいものでした
展示品の数も多く 学びとしての部分も多く
最後まで見るためには3時間は必要です
しかし 大半の来館者は1時間
せいぜい1時間半の見学
特に前半に力を入れすぎてしまうため
後半は急ぎ足で通過してしまうことになるのです
売店が途中にあることも原因かもしれません
吉永小百合さんのイヤホンガイドの最後が
このカンナの写真であるにもかかわらず
売店辺りでイヤホンを外し
足早に出口へ向かってしまうことになるのです
カンナを伝えて10年
子どもたちとカンナを咲かせ世界にもバトンを繋いだ
カンナは広島では「被爆した花」の指定がない
教育委員会も
「子どもたちの作文にカンナ カンナとカンナの文章を多く目にします」
「カンナも被爆した花として仲間に入れてあげて下さい」
「しかしながら 広島は平和学習で取り扱うカリキュラムが多くて
これ以上増やせないのです・・・」
これが広島市の見解です
今年2014年から大改修工事が始まりました
2018年に完成だそうです
カンナを伝えて10年
1945年 あに苦しみの中に
たった1ヶ月で咲いてくれた真っ赤なカンナの花
爆心地から820mと言うところに咲いてくれた真っ赤なカンナ
人々に「生きられる」をくれた花
人々に「希望」をくれた花
人々に「勇気」をくれた花
人の目の高さに咲くこの真っ赤な花がくれたもの
花にも恩を忘れてはならないと思います
そして 忘れてしまったら
また 再び起こるかもしれない悲劇
私たちは忘れないことが大切で
忘れないにはたくさんの努力が要る
リニューアルでカンナの写真が残ることを希望します
過去は未来のためにあります
真っ赤なカンナの花言葉は「堅実な未来」です
私がカンナを伝え 咲かせ 世界にバトンを繋ぐのは
子どもたちに堅実な未来を残してやりたいからです
地球上のどの国の子どもたちにも
今 私が味あわせて貰ったぐらいの平和はせめて残してやりたいのです
私財を投げ打って伝えてきた10年
カンナを植えて咲かせた
球根をバトンに平和への想いをリレーした
冊子を書いては印刷してホッチキスでとめて配った
寝ないでブログを書いた
フェイスブックに書いてきた
そして 最近ようやく
聴いたことがあるといって頂けるようになったのです
カンナの花を見ると今までとはちがう想いを抱くようになった
そう言って頂けるようになりました
どうか リニューアルでカンナの写真がなくなりませんように
そう思うこのごろです