- 池本 真人
- Div Design Webサイトの一級建築士
- 東京都
- Webプロデューサー
平和を作る心を育む
-
今、憲法9条や集団的自衛権の問題で日本が揺れています。
身近な人達がTwitterやFecebookで呟いているのを見て、平和を望む人達がいかに多いかというのを改めて感じています。
では、世界を平和にするためには何をしていったらいいのでしょう?
兵器を開発・使用するのは誰ですか?
戦争を指示するのは誰でしょう?
その人達を選んだのは?
いざ戦地に行ったとしても、お互いに引き金を引かなければ良い話。
でも、そんな訳にもいかないという人が多いのではないでしょうか。
「私が殺されたら誰が家族の面倒を見ていくんだ…?」
そう思うかもしれません。
その戦場での緊張感が大きくなったものが国家間の駆け引きのようなものなのです。
どこの国も、自分の国を守るために動いています。
相手のものを奪おうと綱を引くと、相手は取られまいとして、それ以上の力で引っ張ろうとするわけです。
国という単位で見ると、身近なものが見えなくなるかもしれないのですが、先に伝えた通り国を動かしているのも人なわけです。
「じゃあ、あなたは一番身近な家族と平和に暮らしておりますか?」
夫、妻、子供、友人、上司、部下などと仲良くやっているでしょうか?
「いや、私は仲良くやっているよ。」
と言うかもしれません。
それは普通の日常生活を送っているうえでの話ですよね。
人間には自分の損得ばかりを考える自我(エゴ)というものがあります。
そのエゴは、いざという時に表に現れてくるのです。
沈没する船に乗っていたら、自分だけ助かろうとするかもしれません。
放射能で水道の水が危険だと言われたら、「自分の家族のために…」とペットボトルの水を買い溜めするかもしれません。
同業者のお店が繁盛していたら嫉妬の念にかられるかもしれません。
いざ追い込まれた時に、どういう行動が出来るかは、なってみないと分からないものですが、人間のエゴというものは奥深くに根付いているものなのです。
なればこそ、その人間のエゴを薄くしていくことでしか平和というものは実現出来ない訳です。
今すぐに平和にするというのは無理かもしれません。
様々な国家があり、宗教があり、価値観があり…。
自他の違いがあるから自分が感じられるわけですが、本来は自他同体なわけです。
最近ではワンネスなどと言われますが、「じゃあ、どうしてそうなんだ。」ということを理論的に知っていないと、ただの知識になり役立ちません。
仏陀は、一番最初にそれを見抜いた人なのですよね。
そして、それを教えて歩き回った尊い方です。
仏陀の悲願は「世界平和」であると言っても過言ではありません。
全ての人が幸せになるためには、まず真理を知らねばならない…。
その思いで動いていたのだと思います。
全てを生み出すのは人の心であり、人の心の現れが現世なのですから、世界がおかしな状況になっているとすれば、私達の心の投影でもあるのです。
だからこそ心のことを学ばねばならないと思うのですが、自分のこととなると目を向けようとしない人が多いのです。
何故、向けないかと言えば、学ぶべき状況になったことが無いからです。
大抵、心理学や宗教を学ぼうとする人は、何かしら大きな悩みの経験があることが多いのだと思います。
人間と言うものは悲しいことに、失った時に初めて大切さに気付くのです。
それまで当たり前のように身近に感じていたけれど、失わないと気付かないこともあるのです。
戦争も愚かなことだと経験しているからこそ、絶対にしてはいけないことだと分かるのですよね。
私が思うに、全ての人が一瞬で悟れば、世界から争いというものは無くなると思います。
平和は一人一人の心が作るものです。
「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、「森を見て根本を見ず」ということになってはいないでしょうか?
平和は誰に作ってもらうものでもなく、自分で動いて創っていくものです。
周りに生かされているのだから、恩を知る感謝の気持ちがあれば、利他の心を持つのは当然のことなのです。
学ばないうちは、エゴに塗れて環境に動かされている操り人形のようなものなのですよね。
ですが、「自分は動かされていない!私は自分の意志で動いている!」と思っているものなのです。
まずは物事の道理を知り、自分や世の中をハッキリと見ることが必要な訳です。
今すぐに平和が実現しないとしても、一人一人が良い波を出していけば、いつか必ず世界平和の実現が出来ると信じています。
そのための第一歩として何をするか…。
「身近な人に優しくしましょう。」
「自分自身を見つめ直しましょう。」
全てはここから!
不平不満をぶつける前に、自分を変えていく努力をしていってみませんか?(^_-)-☆
今日はただの呟きです♪