「国語ができないから、算数の文章題も……」ってホント? その2 - 子供の教育・受験全般 - 専門家プロファイル

岡松 高史
岡松教育進学研究所 代表
愛知県
家庭教師

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対象:子供の教育・受験

大澤 眞知子
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(カナダ留学・クリティカルシンキング専門家)
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閲覧数順 2024年04月26日更新

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「国語ができないから、算数の文章題も……」ってホント? その2

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前回は、「概念化ができていない言葉、意味を知らない言葉が使われている文章や、文の構造がとれない文を含む文章は理解できず、そのような文章が問いになっている文章題は、算数に限らず、国語だって、理科だって、社会だって解くことはできない」というところで、終わりました。

これを最初の問いに戻して説明し直せば、「国語ができない」『から』「算数ができない」のではなく、「言葉を知らなければ(概念化ができていない言葉が、自分が解こうとしている問題に使われていれば)、あるいは、ある文の指す内容がとらえられなければ、その問題は、算数にしろ、国語にしろ、理科・社会にしろ、解けない」ということになります。

このようにまとめると、「いやいや、言語を教える、言葉を学習する教科は国語なのだから、やはり、それは『国語ができないから』ということになるのではないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、あらゆる語句の概念を国語で学習するわけではありません。

たとえば、「『割る』とはどういうことか」。「竹を割る」「卵を割る」などといった「割る」とは、ということです。

「割る」とは「あるものを、二つ、あるいは、いくつかの部分に分けること」といった意味であるということは、「国語という教科で扱っている」といっても、まあ、いいでしょう。しかし、「9を3で割る」「1を2で割る」というような「割り算」の概念は、当然ですが、算数で扱います。

この「~を~で割る」という表現ですが、「竹をナタで割る」と言えば、この「~で」の「で」は「手段・方法または道具を表す」格助詞ということになります。また、「卵を台所で割る」といえば、この「で」は「動作・作用の行われる場所を表す」格助詞ということになります。ほかにも、「コップを不注意で割る」なら「原因・理由・動機を表す」格助詞の「で」ということになります。

では、「6を3で割る」の「で」は、いったいどういう意味を表す「で」なのでしょうか。国語辞典には、格助詞「で」の意味・用法として「動作・作用の行われる場所を表す」「動作・作用が行われる時を表す」「動作・作用を行うときの事情・状況を表す」「手段・方法または道具を表す」「原因・理由・動機を表す」「動作・状態の主体を表す」(以上、三省堂『スーパー大辞林』より)が挙げられています。

この中で選べば、「手段・方法または道具を表す」「動作・状態の主体を表す」がいちばん近いのでしょう。でも、私たちが生活している現実世界には「3」という「道具」は転がっていません。いや、そもそも割られる「6」も見かけません。3「人」の人とか、6「個」のケーキなどというように具体物として存在するのであって、抽象的な「3」や「6」として存在するわけではありません。

このように見てくると、庭で見かけた「石」を、道具箱の中に転がっていた「ハンマー」「で」「割る」という表現と、「9を3で割る」という表現とを同列に論じることはできないのではないでしょうか(もちろん、同じ「割る」という言葉を使っている以上、共通する部分は、あるのですが)。

あるいは、こんな例を挙げることもできます。

算数の学習中に「6個のケーキを2人で同じ数ずつ分けると、1人分は何個になるでしょう」という問いを読んだ子は、「6個」「2人」を抽象化して「6」と「2」にし、この「6」を均等に「2」つに分けるのだから、割り算を使うんだな(ここで、「分ける」→「割る」の置き換えが必要です)。すると、計算式は「6÷2」になって、その答え(つまり、商)は「3」、この「3」は「6個」のケーキを「2人」で分けた1人分のケーキの個数だから「3」「個」だ、と考えるでしょう。

また、「6個のケーキを1人に2個ずつ分けていくと、何人に分けられるでしょう」という問いを読んだ子は、「6個」「2個」を抽象化して「6」と「2」にし、この「6」を「2」つずつに分けるのだから、割り算を使って、計算式は「6÷2」、その答え(つまり、商)は「3」、この「3」は「6個」のケーキを「2個」ずつ分けたときに分けられる人数だから「3」「人」だ、というように考えるでしょう。

つまり、「6÷2」には、「6を2つに分けると、いくつずつになるか?」という意味と、「6から2を引いていくと、何回引けるか?」というふたつの意味があることになります。「6÷2」という式の表す意味を説明するには、言葉を使うのですが、この式がどういう意味を持つのかは、これまた当然のことながら、算数で学習するのです。まさか、これらの文章題を解く思考過程の中の、「6÷2=3」は計算だからこの部分のみが算数の領域で、他は「言葉を使っているのだから」国語の領域だなどとは、誰も考えないでしょう。

他教科でも同じです。

「南」という言葉の指す方向、「中」という文字も持つ意味、「高度」という熟語の意味の習得は国語で、といえるかもしれませんが、「南中高度」という語について「太陽が真南にきたときの時刻を南中時刻、そのときの太陽の高さ(角度)を南中高度と言う」などということは、理科で学習します。

「改新」「改革」「革命」「維新」が、どう違うのか。どういう意図をもって命名されたのか。「変」「事変」「役」「戦争」の違いと、その命名の意図については、社会科で習得します。

ある中学校、あるいは、高校で、理科の教師が「○年生の某は南中高度の意味も知らん。国語科の先生は何を教えているんですか」などといったクレームを国語の教師につけるでしょうか。また、ある進学塾で、線分図という言葉を知らないのは国語科の講師の怠慢、その図が書けないのはその子が通っている学校で図工の指導が適切に行われていないせいだと言い出す算数科の講師がいたとしたら、その講師はまともに付き合ってもらえないでしょう。

「その1」で挙げた、「共通一次試験(現在の「大学入試センター試験」の前身)の総得点と最も相関関係が強いのは、小学2年生の国語の成績である」という研究結果も、あくまでも「相関(関係)が強い」というのであって、「原因→結果」の関係があるとは言っていないのです。

やはり、「国語ができないこと」と「算数(理科、社会)の文章題が解けないこと」とを因果関係でつなぐことはできないと思います。

また、コラム1回分の文字数に達してしまいました。まだまだ言い足りません。

さらに続きます。「その3」をお待ちください。

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