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閲覧数順 2024年04月24日更新

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「気になるブームの今むかし」/習い事の戦後史~1 終戦直後~50年代

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4月17日に出演した

NHK「ごごナマ~気になるブームの今むかし・オトナも夢中!習い事特集」。

「習い事の生き字引」としてお話ししたこと、

そして準備したけれどお話しできなかったことを記していきたいと思います。

 

まずは戦争直後~50年代。

 

戦争が終わって最初にブームとなったのは、「英語」でした。

終戦直後、1945年9月15日に発売された『日米会話手帳』が大ベストセラーとなったのです。

売れに売れて空襲を生き延びた印刷工場が大活躍、

発行部数は300万部とも360万部ともいわれますが、。

32ページのパンフレットのような本だったためか現物はほとんど残っていません。

国会図書館にも残っていない。

このあたり、玩具の一種として扱われていた手塚治虫の初期単行本が

ベストセラーにも関わらずあまり残っていないのと同様ですね。

これに続き、様々な出版社から何冊もの英会話ベストセラーが生まれます。

翌年にはラジオで「英語会話教室」が放送開始。

「証城寺の狸囃子」の替え歌「カムカムエブリボディ」が人気を博しました。

 

戦争が終わった瞬間「これでマンガが描ける」と躍り上がった手塚治虫のエピソードを思うと、

これからは英語が話せないと!という切迫感よりも、

よし、戦争が終わったのなら新しいこと初めてやろう!

そんな解放感のようなものを感じてしまいます。

戦争中は適性言語として使えなくなり次々と日本語に言い換えられた英語を、

これからは大手を振って学べるぞ!という。

 

同じように、戦時中の逼塞をバネに復活を果たしたのが「バレエ」です。

戦前から活動していたバレリーナや演出家、音楽家たちが集まり始動してバレエ団を結成し、

1946年8月9日、帝国劇場で「白鳥の湖」の上演を果たします。

大好評で上演は5日間延長。

これをきっかけに、バレエ復活をめざして結成されたいくつものバレエ団が各地を公演。

憧れの世界を目の当たりにした子どもたちが「私もやりたい」と次々と声をあげ、

東京や大阪で再開されたり新しく開かれたりしたバレエ教室は大盛況となります。

戦後まもないこの時期に各地の公演が成功したのは、

昭和のはじめに西洋文化やクラシックを味わいそれに魅せられていた「市民層」が

それだけ、「飢え」のようなものを感じていたのだろうとうかがわれます。

 

ただこの時期にバレエを習っていたのは

まだまだ、そうした公演を見ることができた限られた豊かな人びとのもの。

その普及に大きな役割を果たしたのが、少女漫画雑誌でした。

1954年「少女」で連載された手塚治虫「ナスビ女王」。

バレリーナを目指す主人公の友人が、主人公を上回る人気を博したのがきっかけで、

翌年に創刊された「りぼん」「なかよし」などの少女漫画雑誌では

必ずバレエ漫画が連載されていきます。

60年代に大ヒットした牧美也子のバレエ漫画「マキの口笛」。

 

50年代、仕事のための学び事としてブームになったのは、「洋裁」でした。

私の祖母もそうだったと聞いたことがありますが、

女学校で洋裁を学んだお母さんがその「手に職」を活かして

戦後の混乱期に大活躍、その姿を見た娘さんたちの進路として大人気となったのです。

数年前に朝のドラマとなった「カーネーション」をご覧になっていた方は実感できるのではないでしょうか。あの糸子さんのカッコよさを見たら、そりゃあ憧れます。

今の女子大学や専門学校の中には、この時期に全国各地で開かれた洋裁学校を出自とする学校が数多くあります。

月賦販売のおかげで家庭用ミシンが普及していったのも同じ時期。

糸子さんや三姉妹のようにそれを仕事にしなくても、

家で着るものは自前で作るのが当たり前のこの時代、

お気に入りの生地を見つけて子どもたちの晴れ着を作る、

それはお母さんにとって幸せの象徴のような出来事だったのです。

 

男性の学び事では、「そろばん」と「簿記」が上げられます。

復興がすすみ企業や自治体で事務職の募集が増えていきます。

応募資格に「そろばん」や「簿記」を求める求人が急増したのです。

それは、1946年の通達、そして1949年成立の「社会教育法」にもとづき

50年代に各地に次々と設置されていった公民館の人気講座の一つともなりました。

兵隊から帰ってきた青年たちが自ら、「夜学」を開いていったのです。

この時期、人口の半分は農業世帯です。

今となっては想像つきませんが、

農業国として復興していくのだ、という未来のほうが、ずっとイメージできたでしょう。

農地解放で自作農となり、自分たちで経営していく。

品種改良が進むコメ、ミカンや柿、タバコなどの商品作物、杉やヒノキの植林。

これまで作っていたものを同じように作るのではなく、自分たちで考えて自分たちで栽培するものを選び、自分たちで経営していくのだという気概。

 

私は、『忘れられた日本人』(岩波文庫)で知られる民俗学者の宮本常一の文章が好きで、

「彼の歩いたあとを赤鉛筆で記すと日本地図が真っ赤になる」と評された彼の全集を

読み続けているのですが、

各地の農山漁村を訪ねた昭和20年代の文章からは、

新しい情報を求めて彼の話を聞くために集まる村の青年たちの熱気が伝わってきます。

http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624924461

公民館や小学校の講堂、それに彼が泊まった村の主立ちの居間が、

学びの場となっていったのです。

宮本は、農家にこそ事業主として経営していくための農業簿記が必要だと説き、

自分が直接見聞きした各地の先進事例を紹介していきました。

 

つづく

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『稼げる資格』 資格専門誌『稼げる資格』編集長

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編集長を務める資格や大学院の専門誌をはじめ、就職、転職、U・Iターン、進学とこれまで一貫して個人のキャリアを提案するメディアを作ってきました。これまで取り扱ってきた3000人以上にのぼるライフヒストリーを元に、リアリティのある情報を提供します。