宗教は人を「真理」から遠ざける - 心・メンタルとダイエット - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:ダイエット

佐久間 健一
佐久間 健一
(ボディメイクトレーナー)

閲覧数順 2024年04月19日更新

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宗教は人を「真理」から遠ざける

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今回のテーマですが…。

この素晴らしいメッセージは、正に私自身が人生の経験の中から得られた「人生の指針」と同じであると感じられましたので、皆様にもお届け致します♫

☆_(_☆_)_☆

 

 

【 宗教的教義による束縛は、地上世界の病苦の一つ 】

 

1人の例外もなく、あなた方1人1人が宇宙根源の大霊の一部であることを忘れてはいけません。自分の持つ力を人々のために使おうと努力するとき、大霊の力があなた方を通して地上に現れるのです。それはいかなる分野においてもそうなのです。

 

神の働きには何か特別な枠があるかのような、特殊な経路でなければその力はもたらされないかのように考える傾向がありますが、神の力は、それを受け取る波長を持つ人であれば、誰にでも与えられるものです。そこには地上的名声も社会的地位、肌の色や人種や国家など関係ありません。

 

神の存在を信じて、賛美歌を歌い、説教を聞いて、日曜日に礼拝に出席したとしても、それで霊性が1ミリも伸びるわけではありません。大切なのはあなたの思考が生み出す”行ない”です。いかなる教義もあなた方の魂を拘束します。人間は宗教的教義のもとに戦争をしかけ、異教徒を攻撃し、焼き殺してきました。魂を束縛するもの、精神の自由を妨げるもの、霊性の自由な発現を妨げるものは、どんなものであっても取り除かねばなりません。

 

私が宗教を批判するのは、真理のためにならない組織や、使い古された意味のない教義を相変わらず大事にして、生き生きした新しいものの入り込む場のないその体制です。真の宗教とは、全存在に内在する霊性のことです。それが大自然の中に生きる千変万化の律動とあらゆる形態の中に現れており、理想に燃えた指導者や社会のために尽くそうと努力している人々において顕現しています。

 

宗教的教義による束縛は、地上世界の病苦の一つです。それは肉体的な病気よりも大きな害悪をもたらします。身体上の病気が生み出す苦痛など物のかずではありません。なぜならそれは魂の病気だからです。それが霊の目をふさいでしまうのです。

 

ですがなぜか人間は、神の叡智を見えなくする作られた教義を好むという傾きがあります。しかも不思議なことに、与えられたものを信じることで安心し、その中に閉じ込められることを幸せと思う人々がいるのです。つまり自由とは、自由の有り難さがわかった者だけが手にできるものなのです。

 

私はいかなる教義も儀式も作法も説いたりしません。私は神の愛が、すべてのものを通して現れているという事実だけを説きます。いかなる尊い書物や巻き物、ドグマ、特定の指導者や権威、あるいは教わった知識さえも絶対と思ってはいけません。聖遺物とされるものを信仰の対象としてはいけません。ただ神の摂理に従うことだけを心掛ければよいのです。それが宇宙でもっとも大切なものであり、それこそ唯一絶対の権威なのです。

 

神はいかなる荘厳な建造物であっても、閉じ込められることはありません。神はどこにでも、すべての場所に存在しています。太陽の恵みが人々の心を明るく照らし、雨は作物を実らせて人々を養います。しかししばしば、恵みをもたらすそうした物事との間に、宗教家と政治家、商売人が介在するものです。こうした者こそ取り除くべきものですが、今、それが次々と取り除かれつつあります。

 

霊の力の地上への働きかけを、過去の話と考えてはいけません。過去の霊格者を通して働いた霊力は、今まさにさまざまな形で、地上に働きかけていることを理解することです。そうした力を、当時の宗教家が敵視して悪魔の仕業として潰しにかかりましたが、それと同じく現代の宗教家も、霊の力が働いているという事実を決して認めようとはしません。

 

物質の世界に存在するもの、それが物であれ人間であろうと、たとえその人間がいかに高い地位にあろうと、それを信仰の対象としてはいけません。そうではなく、物質の彼方にあるものへ目を向けることです。地上の人間はこれまで余りにも長い間、教えそのものよりも、それを説く人物に関心を向け過ぎてきました。その結果、その人物を過大に評価するあまり、祭るべきでないところに祭り上げてきました。

 

私が訴えるのは、あなた方の理性だけです。私たちはもはや、いかなる聖典や書物、人物や権威などを拠り所とはしません。1人1人が神から刻印されている理性をこそ拠り所とし、これに訴えます。真理というものは、何かの書物から文句を引用することで広まるものではありません。それは信じることではなく、あなたの理性が納得する必要があります。

 

もしも私が述べていることが、あなたの理性にそぐわない時は、きっぱりと拒絶することです。しかし同時に、私が伝えていることが、人間の最高にして最上の本能に訴えていること、古い時代からの誤った知識を捨て去り、人間にとって真に大切な霊的真理を伝えようとしていることも分かってもらえるでしょう。

 

地上で宗教と呼ばれているものは、真理を基盤としなければなりません。そしてそれが理性の攻撃に耐えられないものであるならば、捨て去らなければなりません。



 


         book『シルバー・バーチの霊訓 (12)』  潮文社

                           抜粋

 

 

 

 

 

真理は太陽の様にいつでも空(宇宙)にあり、それは誰にでも降り注がれているものですが、

人間が作った概念(宗教)という雲が、太陽を遮断しているのではないでしょうか?

 

 

 

人類は神や仏に近付きたいとの思いから宗教というものを作りましたが、皮肉な事にその宗教というものは、自分をその存在から遠ざけてしまうものであると思います。

《 ゚Д゚》!!

それは何故かと言うと「自分の外に神(仏)という存在を置いてしまう」からです。

そして、それが「謙虚な人間として生きる正しい姿」であるかの様に思わせるのが得意なのも宗教なのです。

(^^;

 

そのドツボにドップリとハマってしまった人は、その様な思考が「罪悪感」「自己否定」「劣等感」や「人への差別」、そして自分の頭で考えなくなる「無知」というものと結び付く事を知らずに、

「信仰心の厚い自分は、他者より神に近い存在だ」と驕ってしまうなど、自分を貶めてしまうのです。

(・_・;)

 

もしこの世に神がいるとするならば、それは各自の自分の中に在るのですから、外(宗教)を探し回る必要など無いというのが私の見解です。

おちゃめで頭の良い神様はかくれんぼがお好きで、一番見つかりづらい場所にご自分を隠されたのだと私は思います。(笑)

 

今回のメッセージは、いつも私がコラムを通して皆様にお伝えしている

「どの様なものであれ、自分と個性の違う他者が出した答えの中に、自分の答えは無い」

に通じていると思います。

( ・・) ~ ☆彡

 

ちなみに私に取って生きる指針は常に「真理」に在り、他者が作った「宗教」ではないのですが、

それと同時に、私は「どの様なものでも "善いものは良い" 」という眼も持っておりますので、

 

いつもどの様なものからでも学ばせて頂く事ができますし、

どの様なものであっても、そこには必ず「真理が含まれている」という視野がありますので、そういう発見をするのが自分では楽しいのですね♫

(^^✿

 

その様な視野があれば、「これだけが正しく絶対」という様な "原理主義的思考" や "偏見" という傲慢なものに自分が陥いらずに済み、

又「他者の存在を尊重する」「自分の鏡になってくれる他者の存在に感謝する」という事ができるのだと私は思っております。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

 

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舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年