神と悪魔? - 心・メンタルとダイエット - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家
専門家の皆様へ 専門家プロファイルでは、さまざまなジャンルの専門家を募集しています。
出展をご検討の方はお気軽にご請求ください。

今回のこのタイトル♫

何から来たかと言いますと、とあるブログで「神を信じている方」と「無宗教」の方が対談をするという企画があり、今ちょっとした議論になっている中で、私には珍しくちょちょっとコメントなぞをさせて頂いていたりしたからです♫

(^^♪

 

ちなみに私は無宗教ですが、常に "真理に対しては真摯" というスタンスでございます♫

☆_(_☆_)_☆

 

 

昨日はここのコラムをお休みして、コメントを書き込むのに勤しんで(?)おりましたので、その自分の投稿したものを皆様にもお伝え致します♫

 

以下、私のコメントです♫

(※キリスト系の神様を信じていらっしゃる方をAさん、無宗教の方をBさんと致しました)

 

 

 

【コメント①】

Aさんの神と悪魔の二元論の考えは、神への捉え方がとても幼く拙い解釈だと私は思います。
又、特に仏教やお釈迦様の教えへの解釈も、Aさんは元々の教えをご存じないまま、後から作られた宗派ばかりを取り上げて語っておられるだけで、オリジナルの教えをちゃんと理解してはいらっしゃいません。

 

只、その時にたまたま目にしたものを一夜漬けで学んだだけの、とても狭い範囲のものだけで判断しているだけなので、理解がとても浅いと感じます。(※ちなみに私は仏教徒ではありませんが、一時期本からの独学で結構仏教や神道も勉強した事がありました)

 

ちなみにお釈迦様は「人間は動物以下にも成り得るが、神をも超える存在である」という教えを広められたのですが、それはどういう事なのかというのを私なりに解釈させて頂くと、

 

当時お釈迦様がその「神」と表現されたものは、所謂霊能者達の世界で言う「高級霊=神」「低級霊=悪魔」の事を指して言われたのだと思います。

 

その頃のインドではその様なものを崇拝する風習や、カースト制度などからの差別に苦しむ人々がとても多かった背景がありますから、その人々の邪教の混乱から来る苦しみを取り除いてあげたいという慈悲の心から説法を始められたのです。

 

(※お釈迦様は元々は「私の説くものは宗教ではない。私を信じるな。自分で悟れ」という教えを広められたのです)

 

つまり今のAさんの様に、高級霊を最高の神様だと信じてしまい、それを「一神教」として妄信してしまっている人々の目を覚まさせる事で、妄想から生まれる苦しみを取り除いてあげたいと思われたのでしょう。

 

神も悪魔も正にそれぞれ私達の心の中に有る存在であり、それは光と陰と同じで、それぞれの存在が無いと成り立たない「表裏一体」という解釈が、Aさんは全く理解できておられない方だと感じます。

 


Aさんのブログで説かれておられる次元は4次元の世界であり、お釈迦様やイエス様は5次元以上の世界をご存じであったのだろうと私は解釈しています。

 

 

 

【コメント②】

先ほどのコメントの追伸ですが、

聖書というのもイエス様が書かれたものではなく後に残された人々が書いたものですから、間に人が入った分オリジナルから離れて行くのです。

 

仏教の仏典も、キリスト教の聖書も、今私達が目にするものの中に100%ピュアなものは皆無であると私は思いますし、又読む側の解釈も人により様々になるのです。

 

Aさんは聖書を40回以上も読まれたと仰いますが、その聖書の教えをどう解釈されるかはAさんの「理解したい様に」しか解釈されません。

 

これはAさんに限らず、私達は皆そうなのです。
ちなみにお釈迦様はその様に人間の事を熟知されておられたので、彼自身は仏典を残されなかったのです。

 

これは聖書も同様で、イエス様の教えが時の権力者達により政治利用の為にかなり改ざんされたものが現在の聖書というものなので、つまりはイエス様という方は残された人々のエゴによってかなり誤解されて今日のキリスト教になってしまっているのではないかと私は思います。

 

Aさんの様な極端な解釈をされる “自称キリスト信者” の方達が、世の中で戦争というものを起こすのではないでしょうか?

 

現にこうしてBさんと、この様な (対談の中でAさんがBさんの素朴な疑問に不快感を示す様になり、感情的に疑心暗鬼になり、Bさんのブログの読者さんのコメントに対してAさんが削除を求める様になったりして対談打ち切りという) 形になってしまうというのがその証拠です。

 

綺麗なものしか見ない人、光しか神と思わない様な人は、そのバランスで最後はこの世の中では一番汚い人間に成るというのが「陰陽」や「タオイズム」なども勉強した私の見解です。

 

 

 

【コメント③】

ちなみに先ほど私が最初にコメントさせて頂いたものをAさんのブログにも試しに投稿してみましたが、やはり速攻で削除されておりました。

 

Aさんがご自分の主張される事が真理であるならば、その様にご自分に取って都合の悪いものを徹底的に排除する様なイメージ操作を自らされる必要は無いのでは?と私はいつも思います。

 

何かを盲信し謙虚さを失った者は聞く耳を持たなくなりますが、Aさんはその典型であると思います。(これは”魔境”に入られてしまわれた方の特徴でもあります)

 

 

あくまで私は中立の立場ですが、今回はBさんの素朴な疑問にAさんが不快感を示され、感情的になる様なお答えしか出来なかった為に、Bさんを納得させる事ができなかったという事に過ぎず、結果この様な対談になってしまわれたというのは私からしたら当然でした。

 

Aさんの仰る事にも、Bさんの仰る事にも真理が含まれておりますが、人間というのは全てを正しく観れる眼は持っていないという謙虚さを、私達は忘れてはいけないのではないかと思います。(勿論私自身も含む)

 

 

 

【コメント④】

これはどなたにも当てはまる事ですが、人間というのは自分の心の中の闇を、只相手に投影しているという事に過ぎません。
ですのでどなた様も、その方のお話しになる事やお考え・捉え方というのは、その方の内面に起きている事の現れに過ぎないのです。

 

心の素直な方はそのまま・ありのままを客観的に受け止め判断致しますし、心が疑心暗鬼な人はどなたを見ても疑いを持つ。それだけのお話しなのです。

 

Aさんの様に「神」と「悪魔」という二元的で両極端な思考での「神」の捉え方では、絶えず「敵」というものを作る思考になりますから、彼が病的に気にするものが「この人は自分の敵=工作員ではないか?」という疑心暗鬼なものになるのは当然です。

 

思考が極論に走る方は、最後は被害妄想から来る被害者意識という思考で全ての物事を捉えて行く様になり、最後は心が疲弊し病んで行くのです。(それの極みが戦争です)

 

この世の中とは、白と黒にはっきり分類できる様な、その様な単純なものではないのです。
…というのは私達は人間である限り、どなた様にも(勿論Aさんも、Bさんも、私も、ブログの読者の皆様も)例外無く自分の心の中に「神(光)」と「悪魔(闇)」が同居しているからです。

 

私達は自分の心の中にも闇が在るから「悪魔」というものが理解できる訳で、もしそれが無かったとしたら相手は天使や神にしか見えないはずです。
でもその様な方は「人間」として生まれて修業する必要が無いので、この世にいないと私は思います。

 

私達の住んでいるこの地球は、二元的思考に陥り易いトリックが仕掛けられていて、
神(光)というものを体現理解するには、悪魔(闇)というものの存在がなければならない。

 

悪魔(闇)というのは、その為の「必要悪」で有るに過ぎない。
神は「光」も「闇」も表裏一体で一つという世界を創造なさったのです。

 

そして神様はかくれんぼがお好きで、一番見つかりづらい所にお隠れになった。
それは各自の「私の中」に。

 

キリスト教の聖書も、仏教の仏典も、元々はキリストや仏陀が書いたものではなく、後に残った人々により、時の権力者により、その都度都合の良い様に書き換えられて行った歴史がありますから、本当に100%正しく伝わっているものは無いというのが私の見解です。

 

そして人は何を読んでも聞いても見ても、結局は「自分の理解したい様にしか」解釈しないものです。
どの様に解釈するかは、その方の内面で起きている事と一致するのです。(これで最初の話に戻ります)

 

 

 

 

以上が、私が投稿したコメントでございました♫

(^^♪

(コメント欄には沢山のコメントが寄せられておりましたが、私の意見に賛同して下さり「スッキリした!」というコメントを下さった方も結構いらっしゃいました。楽しかったです♫)

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

 

柔らかい空の色♫

私達はいつも人に対してこの様な心でいたいものですねぇ…。

(^^♡

 

 

 

 

 

 

 |  コラム一覧 | 

カテゴリ このコラムの執筆専門家

(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年