「知らないから拘らない」&「知ってそれに拘らない」の違い - 心・メンタルとダイエット - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

注目の専門家コラムランキングRSS

対象:ダイエット

佐久間 健一
佐久間 健一
(ボディメイクトレーナー)

閲覧数順 2024年04月25日更新

専門家の皆様へ 専門家プロファイルでは、さまざまなジャンルの専門家を募集しています。
出展をご検討の方はお気軽にご請求ください。

「知らないから拘らない」&「知ってそれに拘らない」の違い

- good

  1. 美容・ファッション
  2. ダイエット
  3. 心・メンタルとダイエット

今回のタイトル。

(^^✿

前回「物事を理解して行くには順序の決められた学び方がある」というお話しを致しましたので、今回はそれに関連するお話しという事でこのタイトルに致しました♫

_(_^_)_

 

 

皆様の中には、「何も考えない」「ありのままで」という事を良しとされる方も多いと思いますが、そこの根底に在るものが、

 

「知らないから拘らない」という事なのか?

「知っていて拘らない」という事なのか?

 

という事で、その解釈に大きな違いが生まれて来るというのをご存知ですか?

《 ゚Д゚》!?

 

 

例えばそれは「身体」で捉えると、

 

自分の体の中に「芯」を持たない人が力を抜くと、只単にグニャグニャしてしまうだけですが、

訓練で体の縦の芯が出来上がった方が力を抜いても、しっかりと立てているのと一緒です。

 

…と言うか、芯のできた人は「力んで体を支える必要が無い」、つまり「立ちながらリラックスできる体」を持っているのです。

(^^♪

 

そしてこれは「心」にも言える事なのです。

《 ゚Д゚》!!

 

 

「無知」である時は目覚めていない訳ですから「気付いて」いる訳ではないのです。

そこの所を混同してしまうと、色々と「迷い」なるものが生じて参ります。

(^^;

 

それを「物差し」で例えて言うならば、「0(ゼロ) cmというものを持たない定規」と一緒で、正しく計る基準(根)を持っていないものだと言うと分かり易いでしょうか?

(^^;;

 

 

計る基準(根)を持たないという事は、「知らない=無知」という事に通じます。

ですので「知らないから拘らない」というその判断には、それを計る物差しが無いのと一緒なので、実は確信というものが無いのです。

 

 

「無知」という事は、何かと比較対象しながら考えたりできるボキャブラリーが無いに等しく、そういう中からでは只の「受け売り」になっているだけという事も多く、故に自らの「知恵」が生まれないという事でもあるのです。

(・。・;

 

 

「無知」から生じる「拘らない」という事は、只の「何でも有り」という漠然としたものになる場合が多いので、

判断に自分の私情や好みや願望・我儘などが混ざり易く、結果色々な矛盾が生じて来るので、絶えず主張する事や考える事がブレてしまう元にもなるのです。

(-_-;)

 

 

「無知」であるという事は、ご自分の中に「芯(中心)」を持てていない訳ですから、

その思考から発せられるものは、我儘なご都合主義から来る気まぐれ・思い付きであったり、又は人からの受け売りからという様に「芯」の無いものが多く、故にご自身の中に本物の自信や確信が持ててはいないので、絶えず自分の中で揺れていらっしゃるのですね。

(・_・;)

 

 

その「揺れ」を隠そうと必死になられて、頑なになられる方もいらっしゃいますが、そういう方は心も体も強張りリラックスできていないので、逆に「芯が無い」のだと分かるのです。

《 ゚Д゚》!!

 

 

そしてその「芯の無さ」を見破れるのは「ブレない芯を持った人だけ」なのですね。

 

 

何故ならご自分の「芯」が揺れている者には「相手が揺れているのか、自分が揺れているのか」の正しい判断ができないからです。(一緒に同じ様に揺れていると、お互い静止している様に見えたりして!?(笑) )

《 ゚Д゚》☆彡

 

私達は自分と一体化していて、揺れていても「自分は揺れていない」という感覚を持つので、なかなか人間は自分にも相手にも正しい判断が難しいのです。(ハイ!それは勿論私にも言える事であります♫)

(^^;(^^;(^^;

 

 

「知らないから拘らない」というのは、「純真無垢な子供」に似合うものであり、又それが子供時代の大変美しい姿でもありますが、

 

人間の人生というのは誰もが「大人になって行かねばならない」という課題があるので、いつまでも子供でいる訳には参りません。(でなければ、何故人間には "悩む" という事が起きるのでしょう?)

(・。・;

私達人間は望むと望まざるとに拘わらず、「成長」せねばならない様に生まれついているのですから、その「知らない」という無知な生き方はその成長と共に、段々「拙く未熟である」という様に美しくない=似合わないものに成って行くのです。

(-_-;)

 

 

 

私達はあっちへぶつかり、こっちへぶつかりの紆余曲折を経て、人生で色々無駄なものをふるいにかけては削ぎ落とし、一番大事なものを自分の中に残して行く=芯を作る。

 

その芯が持てて、初めて私達は人生で「無駄な力を抜く」という事ができますし、だからこそ「ここぞ!」という時には最大限の力を発揮できる。

(^^♪

 

 

それが「知っていて拘らない」という生き方であり、

それは「知性を兼ね備えたカッコ良い大人」に似合う姿であると私は感じるのです。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

 

夕暮れの太陽の丸く大きな存在が引き立つ、そんな構図の写真ですね~♫

(^^☀

 

 

 

 

「知っていて拘らない」というのは、頭が柔らかいという事でもあります。

(^^♪

 

特に私達は、どうしても「自分が望む結果」に拘るという癖が有りますが、

「全ては因果の法則の働きの結果」であるという事が分かれば、「ベストを尽くして努力はしても、結果には拘らない」という達観した生き方に成って来るのでしょう♫

 

 

それが、一番心を健康にしてくれる「囚われの無い自由な生き方」の様に私は思います♫

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

 

 |  コラム一覧 | 

カテゴリ このコラムの執筆専門家

(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年