恩とは原因を知る心
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人間というものは、ある意味において本来平等だと知り、全ての人間、全ての事象を平等に愛するのが平和への道なのですが…。
それだけでは、完全な愛ということにはなりません。
愛の実感による幸福感を受けるためには、「愛する幸せ」だけではなく「愛される幸せ」も知る必要があります。
そのためには「恩」ということを知らねばなりません。
「恩」という字は「因の心」と書きます。
どういうことかと言うと、「原因を知る」ということです。
ブッダは恩ということを大切に説いていて、親の恩・国の恩・社会の恩・三宝の恩を四恩として伝えておりました。
あるお寺の住職さんが、人々の前で四恩の話しをしていた時、一人の学生が立ち上がって次のようなことを言ったそうです。
「恩なんて知る必要は無いと思います。世の中はお金です。お金があれば何でも出来ます。恩を知ることよりお金を得ることの方が大切なのではないでしょうか?」
それを聞いた住職さんは次のように答えます。
住職:「何だお金が欲しいのか?どのくらい欲しいんだ?一千万円くらいか?それならワシが出してやろう。」
学生:「本当ですか?」
住職:「ああ、本当だとも。ただし条件がある。」
学生:「何ですか?」
住職:「お前の命をくれ。」
学生:「そんなものあげられるわけがないじゃないですか!一千万円くらいで命をあげることなんて出来ません!」
住職:「そうだろう。じゃあ、その大切な命を授けてくれたのは誰なんだ?お前さんの両親だろう?その授かった命を育ててくれたのは誰だ?学校の先生や周りにいる多くの人々だろう。平和に暮らせるのは日本という国があるからだろう?」
学生:「・・・。」
住職:「お前さんは自分のことばかり言っておる!周りから頂いた恩を忘れて自分のことしか考えないヤツのことを餓鬼と言うんだ!」
この学生さんのような話は、もしかしたら誰もが持っているのかもしれません。
常日頃、自分が当たり前だと思って使っているものも、生きているということ自体でさえも、多くのご縁から成り立っているものですが、ついそれを忘れてしまって、自分のことしか考えなくなってしまう…。
結果、愛されていることにも気付かず、「愛が欲しい。」「愛されたい。」と愛を求めて彷徨うことになる…。
この世に生まれて、今生きていること自体、すでに愛されていることで、それに気付かない限り愛のバランスは取れません。
いくら周りの人を愛そう愛そうとしても、人は自分を愛すること以上に周りの人を愛することは出来ません。
一方だけが愛しているという状況は、愛が破綻する原因になります。
「自分は宇宙一切から愛されている。」
これは妄想ではなく事実です。
この愛を知っているか知らないのかでは、自己祝福という観点において、とても大きな差が現れてきます。
恩を知ることは感謝に繋がり、得た心の平穏は周りに波となって広がっていきます。
「あなたはすでに愛されている!」
この事実を知って、周りにも恩返しして頂きたいと思います。
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