眼を開いた師や友人を持つ
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「自分のことは自分が一番良くわかっている!」
そういう言葉を聞きますが、本当にそうなのでしょうか?
昔、ある一人の女性がおりました。
子沢山の女性は、貧しい生活をしていたため、子供達のため必死になって食料を探していました。
その果てに、人の子をさらって人肉を自分の子に与えます。
さらわれた子供達の母の悲しみがブッダの元に集まりました。
ある日、ブッダは女性の家に行き、末の子を一人さらって帰ります。
我が子がいなくなったことに気付いた女性は、何日も探し回りますが、見つかりません。
最後にブッダの元へ相談に来るのです。
「私の可愛い末の子が誰かにさらわれてしまいました。どうぞ助けて下さい。」
「あなたには沢山の子供がいるではありませんか。一人くらいいなくなっても構わないのではないでしょうか。」
「あなた様ともあろう人がなんと薄情なことを!私はあの子の母であり、大切な子供達の一人なのです!」
「そうでしょう。大勢いる子供達の一人がいなくなっても、それだけ悲しいのです。あなたがさらった子供達の両親の悲しみはいかほどのものでしょう。」
ハッ!と気付いた女性はブッダの元へ帰依します。
これが鬼子母神の物語であり、子供を守る神として崇められています。
人間というものは、自分が何をしているのか自分では気付かないものなのです。
だからこそ、過ちを指摘してくれる友人や師の存在が大切なわけです。
良いことばかり言ってくれる人達の中にいると、居心地は良いかもしれませんが、成長はしないのかもしれません。
ところが人間というものは、自分が一番凄いと思っているものです。
自分のことを凄いと思っているからこそ、自分の意見が正しいと思い込み、周りに怒りを感じるわけですね。
誰かの忠告などは聞かないことも多いのではないでしょうか?
権威がある人や年長者の意見だけ取り入れるのは、相手を見極める力が自らに備わっていないのかもしれません。
一方、「自分なんて…」と自らを卑下する方もおりますが、実のところ、それも自分を凄いと思っていることの裏返しなんですね。
「自分はもっと出来るはずだ!」と心の奥底で思っているからこそ、失敗した時に落ち込んだり、悲しんだりするわけです。
現実の自分と理想の自分のギャップが大きければ大きい程、苦悩というものが自らに大きく振りかかってきます。
ある時、私の師匠が、地位や名声のある方を凄いと思っている人に対して、次のようなことを伝えていたことがあります。
「この世に凄い人なんて誰もいないんだよ。もしいるのなら、僕の前に連れて来て、どれだけ凄いのか教えて下さい。実のところ、この世に凄い人はいないんだよねぇ。だけど尊い人はいるんだよねぇ。」
間違ったものを凄いことだと思うから、自らも間違った凄さを追い求め、そういう凄さに憧れます。
そして、自分にその凄さが無いことに気付き悲しみ…。
その凄さを自分が持っていると勘違いして怒り…。
これこそ、自分のことが見えていないということの証明なんですよね。
人は自分のことは見えない。
そして、自分のことを見るように相手を見て、相手を見るように自分を見ます。
なればこそ、物事が見える自分に成長していくことが大切ですし、物事が見える方に相談するということも大切なんですよね。
あなたの周りに、過ちを指摘して導いてくれる方はおりますか?
そういう存在が一人でもいるならば、あなたは一生の幸せを得ているのかもしれません。
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