前世からのカルマとは何なのか?
-
カルマというような言葉を耳にしたことはありますか?
業(ごう)とも言いますが、本来の意味は「行い」というようなことです。
自業自得というのは、自分のした行いが自分に返ってくるということになります。
ところが、これを別な意味で解釈される方がいます。
「前世からのカルマで…。」
と、今の自分の現状は全て自分の行ってきた責任なのにも関わらず、今生のことではなく、前世からのものだから仕方ない…というような解釈をします。
そういう考え方に対して、私はハッキリお伝えしたいんです。
「カルマなんていうものは無いんだよ!」と。
例えば、「カルマの浄化のために今生で良いことを積み重ねていきます!」と思ったとしましょう。
自分自身のカルマの浄化のため…というのであれば、それは全て自分のためにやっていることになりますよね。
別の言い方をすればエゴそのものです。
その考えには、ある危険性があるのです。
周りで道徳に反するようなことをしていた人がいた時、「あの人のカルマを浄化させてあげよう!」と、相手を殺してしまう…。
でも本人は本気で良いことをしていると思っているわけです。
前に松井さんとこんな話をしたことがあります。
【自己責任とスピリチュアルと魂の顕現】
http://ameblo.jp/mikatakakumei/entry-11253779885.html
誰かのせい、何かのせいにするスピリチュアルだとしたら必要ありません。
「ご先祖様の霊が…。」
「今年は運勢が悪いから…。」
「占いでこんな風に言われたから…。」
誰のせいでもない自分の責任なんです。
それを見つめ直さない限りは何も変わりません。
病気に関しても同じようなことが言えます。
心身一体が故に、体に出てくる症状は心の現れでもあるのです。
何かの重い病気にかかってしまったとします。
それを家系のせいにする…というようなこともあります。
本当に遺伝子のせいならば、全員が全員同じようになるでしょう。
でも、同じようにならない人もいますよね。
しいて言うのであれば、病気になるのは心の問題が大きいわけですね。
その心に何かを抱えた人に育てられたのであるから、子供も同じような症状を持って現れてきてしまう…ということもあります。
もちろん、体を酷使すれば疲れますし、食べ物の問題もあります。
全てが心だとは言いませんが、大きな関わりを持っているのは確かです。
「私が原因なんて認めたくない!」
そう思う気持ちもわかります。
ですが、誰かのせい、何かのせいにしていても自分が苦しいだけなんです。
「全ては自分の責任!」
と、全てを受け入れられた時、本当の意味で心が解放されて自由になれます。
心だけでなく体も改善し、周りの環境も変わっていくことがわかるでしょう。
「早く目を覚ませ!」
松井さんが仰っていたように、お釈迦様も同じ気持ちだったのだと思います。
針のムシロの上に座っていることに気付かなければ、自らの心身につく傷が深くなっていってしまいます。
ヒョイと横に降りてしまえばいいのですが、固執してしまって出来ない…。
それが人間の愚かさでもありますが、苦悩があるが故に気付くことが出来るんですよね。
「誰かのせいにしてないか?」
「何かのせいにしてないか?」
「本当は誰のために行動しているのか?」
見つめ直してみるのも良いのかもしれませんね。
※メールマガジンだけでしかお伝えしないお話しもあります!
見方革命家まーくのメルマガ登録はこちらです♪
このコラムに類似したコラム
二種類の恥 池本 真人 - Webプロデューサー(2012/12/07 08:00)
悪いことをすることと悪い人間であることは別です! 池本 真人 - Webプロデューサー(2012/10/23 18:03)
自分の芯は他人のために! 池本 真人 - Webプロデューサー(2012/10/14 10:36)
幸せな人生を歩むために必要な二つの目 池本 真人 - Webプロデューサー(2013/09/13 10:00)
仏陀の悲願とは何か? 池本 真人 - Webプロデューサー(2013/08/02 20:23)