二種類の恥
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「恥を知りなさい!」
などと親が子供を叱ることがありますが、恥には内面と外面の二種類あります。
内面的な恥というのは、自分の良心や、この世の道理に照らしてみて、それに達していない自分を恥じることです。
一方、外面的な恥というのは、他人の目や一般常識など、世間体を気にして恥ずかしいと思う気持ちです。
こんなことをしたら笑われるのではないだろうか…とか、自分をより良く見せたいが故に起きてくるのが外面的な恥でもあります。
内面的な恥は自分との戦いによって自覚する恥であり、外面的な恥は他との関係に依存して自覚する恥とも言えます。
この外面的に恥じる心を持っていたからといって、内面的な恥の心を持っているとは限りません。
内面的に恥ずかしい気持ちがあれば、当然のことながら人にも恥じます。
ところが、外面的に恥じるポーズは見せたとしても、内面的には一生懸命言い訳をしている自己防衛の気持ちが強く出ることもあります。
そこに内面的な恥は存在していません。
真理に照らして自分の内面を見つめるということは、その自己防衛本能と戦って打ち砕く作業でもあるわけです。
内面の恥を知る人は、何かが起きたとしても後ろに下がることはありません。
真理に照らした恥を知り、それを自覚するが故に、前にだけ進んでいきます。
内面的な恥を持っていなかったとしても、外面的な恥を忘れてはいけません。
根本としての恥は大切なことですが、外面的な恥までフリになってしまったら、手のほどこしようがありません。
自己弁護の言葉に酔って現実の自分の姿を忘れ、外面的にも反省することを失ってしまったら、成長が止まってしまいますよね。
この内面と外面の二種類の恥が深まることで懺悔になります。
本当の意味で恥じるには、やはり自我を薄くしていかなければ到達出来ませんし、そこまでいった時に初めて、人のことも心から許すことが出来るわけです。
二種類の恥がどういうものなのか噛み締めながら、もう一度、自分の心を見つめ直していきたいものですね(^_-)-☆
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