自由を制限して縛り付けているものの正体
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「しがらみから抜け出して自由になりたい!」
こういうお話しはよく聴きますし、少なからず誰しもが思うことなのかもしれません。
禅宗の始祖と呼ばれる達磨大師から始まり、第二祖の慧可(えか)、僧燦(そうさん)、道信(どうしん)…と続いていくのですが、第三祖の僧燦の所に14歳の道信が訪れて礼拝し、次のような問答がありました。
「私に解脱の法門を授けては頂けませんでしょうか。」
「誰が汝を縛っているのか?」
「自分を縛っているものは何もありません。」
「それならば、どうして解脱を求める必要がある?」
僧燦の言葉を聴いた道信は、14歳にして大悟したと言われています。
「悟りたい。」
「自由になりたい。」
そんな言葉を聴きますが、僧燦と道信の問答からもわかるように、自らを縛って身動きを取れなくしているのは自分自身なんですね。
その縛っている対象は何かと言うと、地位、名誉、金銭、異性などの欲望です。
自我の強い生活が自由を奪い取っているんですね。
解脱というのは、執着・渇愛・煩悩が無くなった状態を言うのですが、別の言い方をすると、本当の意味での自由ということになります。
そこで自由を求めようとするのですが、自由や解脱というものをはき違えてしまうこともあるんですね。
「悟りたい!」という強い思いが、執着となり自分自身を縛ってしまうこともあるわけです。
本来は無我であるのに、我があると思って生活をしています。
その本来無我を教えてくれるのが、諸行無常と諸法無我なのですが、意味を頭で理解しただけでは何にもならないんですね。
本を読んだり、人の話しを聴いただけでは、何も変わることはありません。
何も聖人君主になれと言っているわけでは無いけれども、本当の意味で無我ということを理解したら、生きるのが楽になるんです。
自分を縛っているものは何なのか?
誰があなたの自由を制限しているのか?
少しずつでも学びながら実践を積み重ねて、大解脱を目指していきたいものですね(^_-)-☆
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