- 池本 真人
- Div Design Webサイトの一級建築士
- 東京都
- Webプロデューサー
人間は愛と自由の存在である!
-
「人間は愛と自由の存在である。」
仏教を学べば学ぶ程、このことが深く身に染みてきます。
本来、全ての人間は愛と自由の存在であるのにも関わらず、自らそれを求めて自分探しの旅に出ているんですね。
愛を感じる力が弱いために、誰かに愛を求めますが、愛を感じることが出来ず、怒り、悲しみ、恨みというような感情に覆われます。
誰かに認められたいがために、自分を凄く見せようとしたり、自分の行った行為を必要以上にアピールすることもあります。
自由を感じる力が弱いために、外に自由を求めますが、自由を感じることが出来ず、停滞感や絶望感を味わいます。
精神的な自由が得られないと、金銭欲や物欲に走るようにもなります。
人間というものは、愛の存在以外の何者でもありません。
どうして愛を感じられないかと言うと、愛の何たるかを知らないからです。
愛を感じられないとしたら、あなたの求めている愛は自分勝手の愛に違いありません。
全てのものは一つであり、全てのものは他の存在のおかげで成り立っています。
それが腑落ちしていないがために、愛というものを感じられないんですね。
そうすると心が不安に覆われるので、ますます自分のことばかりを第一に考えるようになります。
与えるものは与えられる。
奪うものは奪われる。
全ては自分の投げかけた行為が自分自身に返ってきているだけのことなんですね。
縁起というものがわかれば、ただ目の前の人に幸せになって欲しいと心から願うようになります。
自分だけが得をしようというような考えはしなくなります。
また、全てのものが縁起から成り立っているが故に、人間に自由を選択する意志というものはありません。
自分で選んでいるように見えるけれども、本当は選ばされているんですね。
にも関わらず、自分には自由な意志があるんだと足枷をはめ、思い通りにいかない世の中から逃れようともがいています。
じゃあ、何が自分を不自由にしているのかと言えば、他でもない自分自身の何者でもないんですね。
「人間に一切の自由は無い!」
それがわかった時、心から本当に自由になれるんです。
矛盾しているように感じるかもしれませんが、本当なんです。
元々が自由の存在である人間が、なまじ知恵というものがあるため、自分を不自由だと思い込み、自由というものを求めるようになります。
滑稽なようですが、その求める気持ちがあるからこそ、本当の自由というものに気付いて、手に入れられるということでもあるんですね。
ただ、愛にしても自由にしても求める場所が間違っているんです。
だから、本当の愛にも自由にも気付くことが無く、永遠と自分探しをするようにもなってしまうというわけです。
愛も自由も、全ては自分の中にあるものなんです。
自分というものを探求していくと、無限の愛と自由が存在していることに気付きます。
他でもない、それが神というものなんですね。
愛と自由こそが神であり、それは人間自身でもあるわけです。
仏教の法の中にこそ神が存在していて、神を見るためには自我というものを薄くしていかなければいけません。
それを教えてくれるのが仏教の真理というものなんですね。
これは誰でも学んでいけば見えてくる真理であり、ただ信じればいいという盲目の信仰ではありません。
世の中の道理というものが存在していて、それがわかると、心から楽になり、幸せな世界が見えてくるというわけです。
お釈迦様の辿り着いた境地にいくには、私もまだ遥か遠いですが、その一端に触れただけでも、平穏な気持ちになれるものなんです。
一人でも多くの人に、お釈迦様が伝えようとした本道に到達して頂きたいと心から思っています。
面白く無い世の中を面白くする全ての答えは、自分の中に隠されています。
※メールマガジンだけでしかお伝えしないお話しもあります!
見方革命家まーくのメルマガ登録はこちらです♪
このコラムに類似したコラム
自分の居場所を知らない船 池本 真人 - Webプロデューサー(2013/06/05 09:00)
自由を制限して縛り付けているものの正体 池本 真人 - Webプロデューサー(2013/03/05 10:41)
前世と輪廻転生について 池本 真人 - Webプロデューサー(2012/12/13 11:31)
三大欲求を超える本能とは? 池本 真人 - Webプロデューサー(2012/09/23 15:30)
鳴り響く警鐘の音 池本 真人 - Webプロデューサー(2013/11/27 09:39)