英語講師になるまで その2 - 英語全般 - 専門家プロファイル

鈴木 将樹
英語総合即戦学校 
英語講師
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英語講師になるまで その2

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そんなわけで僕はオーストラリアへ単身渡った。


最初に行ったのはタスマニア州ホバート。日本ではタスマニア物語という映画で有名になったが、かなりの田舎だ。


ここに行った理由は、母親の遠い知り合いにタスマニアから出てきて日本で働いているというオーストラリア人がいて、その人がこの町を薦めてくれたからだった。
とはいっても僕にとっては町はどこでもよかった。ただ、田舎で日本人のいないところがよかった。

留学するにあたって、親に言われたことは1つ。それは留年は一切できない、ということ。
親父は会社員で、5年後には子会社に出向になる決まりになっていた。そうすると給料が減るので、学費を出すのは無理だ、と。
大学で留年するようなことがあれば、僕は卒業できなくなり、イコール留学は失敗になる。


留学前、周りにはけっこう辛辣なことを言う人もいた。

「日本の受験から逃げたいだけじゃないのか」
「どうせ、現地で日本人とつるむんだろう」
「しっかり遊んでこいよ」


僕は負けず嫌いで、頑固なところがある。このような人たちには何も言わなかったが、心の中では今に見てろ、と思っていた。ただ、その人たちを見返すというのは、別に第一のエネルギーではなくて、僕を突き動かしていたのは、英語を身につけて大学でしっかりと勉強して、卒業して帰ってくる、という強い信念だけだった。


そのような状況の中で、僕はまず大学付属の英語学校に2ヵ月通い、次いで12年生に編入、その後ホバートを出て、キャンぺラ大学に入学した。大学ではオフィス経営学と心理学を専攻。大学3年間は単位を落とさず卒業し、その後帰国。オーストラリア滞在期間は4年だった。


留学生活が楽しかったか、と聞かれたら、楽しかったよりも苦しかったことばかり思い出される。
最初の2年ぐらいはまったく日本語を話すことを避け、インターネットも日本語が見れないので、日本の情報が入ってこない状況だった。


ただ、人間的にももちろん英語の面でも一番成長できた期間がいつかと聞かれれば間違いなくこの4年間だと思う。


留学時代の話は、これから留学する人たちの役に立つと思うので、留学というテーマで別にいろいろと書いていこうと思う。


次回は、帰国し、英語講師になるまでの話を。

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