そして「厳格な父親」と「家制度」がありました。
現代の日本ではそういった家父長制度の感覚はうすれましたが
淘汰されていったものの中には
なくしてはいけないはずなのに現実には失われつつあるものがまぎれこんでいるように感じます。
そのひとつが住まいの中の接客空間。
接客空間というのはただ単にリビングルームという部屋をつくればよいのではなく
「もてなしの心」と
「ハレ」と「ケ」を区別する暮らしぶりがあって
はじめて成立する空間なのではないかと思うのです。
例えば昔の日本では、父親がお客様の前に長男をよび
「これがうちの長男です。さあお客様にご挨拶しなさい。」といった会話が日常的に存在したそうです。
(現代の感覚では、長男か次男か、男の子か女の子か、の区別はなくなりましたが)
このシチュエーションの場合、おもしろいかな、と思うのは
実はその子供が呼ばれる前にくつろいでいるであろう「お茶の間」の存在なのです。
茶の間があるからこそ「客間」が成立するのではないかと思うのです。
家に人を招き入れるということは、よそゆき顔の空間と
家族のおくつろぎの場とが別々に存在するからこそできるものなのだと。。。
そうしてみるとリビングルームのプランニングには
ファミリールームの計画がかかせないものだということがわかってきます。
核家族化によって失われつつある住まいの中の接客空間、今一度考え直してみる余地がありそうです。