人間の持つ波動から生じる「相性」 - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

注目の専門家コラムランキングRSS

対象:文化・芸術

専門家の皆様へ 専門家プロファイルでは、さまざまなジャンルの専門家を募集しています。
出展をご検討の方はお気軽にご請求ください。

人間の持つ波動から生じる「相性」

- good

  1. 文化・芸術
  2. 文化・芸術
  3. 文化・芸術全般

良く巷で言われる事の一つに「相性」というものがありますが、これはどういう事から生まれて来る現象なのでしょ~か?…というのを、今回私なりに考察してみよう♫と思います。

☆_(_☆_)_☆

 

結論から申しますと、私はこれはお互いの人格や才能に影響を与える「人間の持つ波動」から生み出される現象ではないかと思います。

(^^✿

 

 

 

所で皆様は、このご自分が放つ"波動"というものを意識された事がありますか?

(^^ゞ

 

この"波動"というものは、その人、人の内面から生み出されるものなので、私に取っては誤魔化しが効かないものであるのですが、

 

多くの方に取っては、目や心を奪われる表面的な言葉や仕草、強いてはその方が持っておられる思考から醸し出されている表面的なオーラ(※色気含む)というものが、自他共に判断のツールになっている様なのですが、

 

私に取ってはそういう外的要素から判断されるものではなく、又左右されないものが"波動"なのです。(※これは魂の歴史である人格・霊格といっても良いかもしれません)

(^^✿

 

 

 

ちなみに私はこの"波動"というものにはとても敏感らしく、いつも動物的に自分の身体が受ける体の感覚からその方の持つ「波動の質」というのを読み取ってしまう体質らしく、

 

時にそれは人によっては理解できないものの観方であったり感じ方である様で、後になって私の語るものが理解できた方達には、私のそれは「先見の眼」として目に映る事もある様です。

( ・・) ~ ☆彡★彡

 

例えば幼い子供を観た時に、多くの人間はその時期の「子供独自の可愛らしさ」という表面的なものにのみ目を奪われて、その子の人としての格(※その子が根に持つ資質や本質)というものに盲目になってしまう大人も多いのですが、

 

私は昔からそういう先入観で人間の子供というものを視ない為に(※人間の子供は天使などではありませんし、大体3歳前後から大人の心を読むテクニックというものを幼児は身に付け始める為に、心に汚れが生じて来るものでございます)、

 

逆にその子の持っている気質や本性、強いては人としての格や将来性というものを敏感に感じ取れてしまうクールな体質を昔から持っているのですが、そういう感覚というのは特に「教育者」と言われる方達には、実はむしろ不可欠な資質=眼でもある様です。

( ・・) ~ ☆彡

 

(※余談ですが、これを書きながらふと思い出したのは、子供にとてもクールだったというお釈迦様の事です。それは「ハッタカ君という、後に多くの人々に愛される様になった慈愛の在家信者が赤子の時に、珍しくお釈迦様がお抱きになった」という事が逸話として残っている事からも窺がえるのですが、

 

私が思うに、正覚者であった"人類最大の教育者"とも言われるお釈迦様は先見の眼をお持ちだったから、赤子を観る時にも、すでにその子の持つ人間の"格=波動"というものを読んでおられたからではないかと私は思うのです)

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

私は皆様と同じ様に、人生で色々な教師の方(※本等も含む)に指導を仰いで来たと同時に、高校生の頃からバレエ教師として、下は3歳児から上はシニア世代と言われる大人の方まで、40年近く数え切れない多くの方達を指導して来た経験を持っておりますが、

 

最近は特に趣味で始めた演劇というものを通して、「色々な講師の方達から学ぶ」事から"生徒の立場"というものを久し振りに味わっており、それは私に取っては色々な発見も多い、とても楽しい時間であると共に、

 

そこで私が改めて感じる事は、人を教える立場のものが持つ波動により、教わる側の能力を引き出す力が大きく変わって来るという実感です。

 

正にこれが"相性が合う・合わない"と言われるものであり、これは長年バレエというものを通して、私が教える立場と教わる立場の両方を経験させて頂いて来た身としても、両面から深く実感させて頂いて来た事でもあります。

( ・・) ~ ☆彡 ★彡 ~ (・・ )

 

 

 

教えて下さる方が、教わる側の個性を生かしてくれるキャパの大きな指導者であるかどうか?

 

或いは指導者のキャパが狭く性格が歪んでいる為に、個性を欠点と捉えて自分の好みに合わせて修正しようとがんじがらめにしたり、個人的な主観や私情を交えて、指導を仰ぐ者の個性に合わないものをわざと意図的に選択したりして、個性を生かせず殺してしまう様な教師であるのか?という様な事ですね~。

 

これは人間というものが絡み合う場所には必ず発生するものと言っても良いと思いますが、そこには実は「相手の人格・霊格を引き上げるものか、引き下げるものか」という"目に見えない波動"というものが大きく"相性"として存在し、お互いに影響し合っているのです。

\(◎o◎)/!

 

 

 

人間の本来持つ質=本質として、私達の能力や才能が最大限ダイナミックに発揮できる時というのは、それぞれの人間の持つ資質を指導者が深く理解し、誰もが唯一無二の個性をもった人格として丁寧に扱われた時であり、

 

相手の人格・霊格に敬意を持って肯定的に真っ直ぐに引き出してくれる、強いては相手の人格・霊格を成長させてくれる存在が導いてくれる時なのです。

 

何故なら"人間"という霊的な生きものは、自分の人格・霊格を真っ直ぐ観てくれる存在がいたり、それを引き上げてくれる存在を感じた時に、心が共鳴・共感するという真の喜びを感じる様に生まれついているからなのです。

 

そしてそういう時に「人間の能力」というのは最大限に発揮されるのですが、それは何故かと言うと、人間の持つ中で最大のパワーである"喜び"が源になるからですね♫

(*^^*) ~ ♡

 

ですので、もし教わる側が教わる時に何らかの違和感や窮屈さや息苦しさ、或いは不快感や退屈するというものが感じられる時は、

 

その指導者が生徒に対して「自分の優位性を優先する」というエゴを裏に隠し持っている時か、指導者が自分を卑下していて、その卑屈なコンプレックスから生徒に媚びる事で自分の存在価値を上げようと目論む時か、なのですが、

 

いずれにしましても、指導者がそれまでの自分の人生経験から、自分の感性で無意識に身に付けてしまった「狭い了見で自分や人を見る」という想像力の欠如から生まれる思考癖に気付かずに指導する時なのです。

 

そしてそういう時には、必ず教える側から低く重い波動が放たれているので、生徒に取っては違和感や不快感や退屈感を感じてしまう時間になってしまうのです。

 

ちなみにこれは、その人間の持つ表面的な明るさとか楽しさとは別物であり、そういうものとは比例しない時もあるので、多くの方達に取っては見分けが難しくなる様なのですが…。(※私はそういう表面的なもので波動をいうものを判断しません)

(・_・;)

 

 

 

指導者側がそういう私的なエゴや偏見が入り混じった指導をする時のスタイルの特徴としては、

 

必ず「否定から入る=個性を欠点と捉える」とか「自分の狭い視野からの先入観で判断する」とか、「わざとへそ曲がりに考える=素直に自然に考えない・受け止めない」というものが良いと信じ込んでいるという「歪みから来る思い込み」があったり、

 

逆に必要以上に遜って生徒と接し、必要以上に褒めたりする=生徒に媚びを売るというケースもありますが、

 

いずれにしても、それは実は教師自身の抱えるコンプレックスや傲慢さから来る「自分を優位にしたい」「自分の方が知っている(と思いたい)」という、自分の優越感を満たす事を優先したがるという事や、

 

「自分を良い人だと思ってもらいたい」という様なものが先に立ち、(※特に私の様な人間には)教えには本来必要のない、そういう教えの邪魔になる"生徒に対する過剰な媚び"という様なものが指導者に入り混じる時には、

 

「相手の個性や能力を引き出す事よりも、指導者の私情が先に立っている」という時間に成っている訳です。

(^^;

 

 

 

…と、ここまで読まれて、「では同じ指導者から教わっても、心地好く感じる人とそうでない人がいるのは何故なのか?」という疑問が浮かんで来られる方もいらっしゃるかもしれませんね~。

(・。・;

 

それに対する私の答えは、「それは"お互いの波動のバランス関係"が、それぞれの立場から変化する事から来る現象」という事です。つまり教わる方の波動が、指導者よりも「低く重い」のか「高く軽い」のかにより、その感じ方や結果が生徒により各々違って来るという事ですね。

 

歪みのない、或いは少ない人間は感じ方が素直で真っ直ぐなので、より知的で無駄のないシンプルなスタイルを好む様になりますから、自分と同格か、自分よりも高く軽い波動を持っている指導者に触れると喜びを感じ、大変心地好く感じるものなのです。

 

人は霊格が上がるほど波動も高く軽やかになり、又大きな視野で常に全体を考えられる様な知性と知恵を身に付ける様に成って行くので、無駄なものや遠回りになる様なものを自然に好まなくなるのです。

(^^✿

 

ですので生徒はそういう波動の高い指導者から指導を受ける事により、自分の能力が最短で最大限に引き出されたり、或いは自分でも気付かなかった自分の隠された才能の発見にも繋がって行きますが、

 

反対に、教わる側の波動の方が指導者よりも高ければ、教わる側に取ってはその指導者から教わる事は、自分の目線を下げたりお守りをしなくてはならなくなるという事を生む故に、

 

教えを受ける時間が「可も不可もない」という様なとても退屈な時間になってしまったり、それが長く続くと大変窮屈で息苦しい時間に感じてしまう様に成って行くという事ですが、

 

でもこれは視野を変えると「生徒と指導者の立場が逆転し、生徒が指導者を導く」という時間に成っているという事でもあります。(※でも波動が低くて重い存在は、そういう逆現象に気付けない場合が殆どの様です)

(^^;;

 

 

 

ちなみに指導者の波動が高く、心(魂)が真っ直ぐであれば、波動が低く歪んだ生徒への逆療法として、敢えて「否定的・へそ曲がり」という歪みで歪みを修正する様な指導をするという裏技が、時に功を成すという事もしばしばありますが、

 

もし教わる方が、真っ直ぐ歪みのない人格=高い霊格を持っていた場合は、その様なやり方は無意味であり無駄になるのです。

 

それは何故かと言うと、特に若い時から或る種の訓練を受け、心身共に無駄なものを削ぎ落とす様な、云わば修業と言えるものを長年し続け習得した者などに取っては、すでに「通って来た道」であったりもする訳で、彼らに取っては、そういうものはとっくに卒業した領域になるからです。

 

人間というものは、どうしても自分のキャパで考えてしまいますので、指導者の霊格=波動が低いと「相手を見て、その相手に合った指導法を考える」というキャパも当然狭くなってしまうので、(※人間は相手に自分を投影してしまうという悪癖を持っています)

 

そういう判断力に差が出て来るのは必然でもありますので、やはり指導をする側も胡坐をかいていてはいけないという事になります。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

本物の「教師という資質を持った方」というのはキャパの大きな霊格が高い方であるので、教わる側のそういう資質を鋭く見抜いて「その人に合った教え方」というものを理解した上で無駄なく的確に指導できる方だと思いますが、

 

自分と個性の違う生身の人間を相手にする限り、口で言うほど簡単なものではない事も私は自分の経験上、熟知しております。

(^^;

 

ですが、教わる側と「相性が合わない」という事は、その指導者のキャパの大きさと共に比例して少なくなって行くものなのではないでしょうか。

 

そういう方は相手の個性に合わせて的確な指導をする事ができますので、教わる側がパワフルになれる「最大限の引き出し方」をしてくれるはずですので、それが私の「名教師」であるかどうかのバロメーターになるのです。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

それぞれが、それぞれに、自分の個性と相手の個性を認め合い、生かし合い共存する中で、それぞれが個々の魂を磨き、お互いの魂の向上の為に凌ぎを削り合う。

それがこの宇宙の営みに沿った、老若男女を問わない最も上質な人間関係です♫

(^^✿✿✿

 

 

 

全ての人間が持っているそれぞれの蕾(才能)を、大きく花開かせる事に携われる事に喜びを感じられるのが名教師ですが、でも本当の"名教師"とは、実は自分の中にもいるのです。

 

自分の中に「自分の能力を最大限発揮させてくれる"師"」を持てた人。そういう人が、本当の意味で他者を導く資格を持つのだと思います。

 

この「自分の中の師」は、決して自分を過小評価する事がなく、かと言って決して自分を甘やかしてくれる様な存在でもなく、時にシビアに厳しい現実をまざまざと感じさせる様な、そういう正直で厳しい面も持った存在でもありますが、

 

確実に「魂が向上する時に感じる喜び」を味わわせてくれる存在、つまり「人間が本当に生きる意味」を感じさせて下さる有り難くて尊敬すべき存在です。

☆_(_☆_)_☆

 

こういう自分の中に内在する存在を"師"として自分の中に持つ人というのは、他者からの過剰なお世辞や甘やかしを必要とせず、又自分に酔うという様なナルシストになる事も好みませんし、逆に「他者からの厳しさ」というものも必要がないのです。

 

何故ってそれはすでに自分の中に持っているものだからです。

(^^✿✿✿

 

それは自分の事でも他人の事でも、いつも淡々と、そして真っ直ぐに「事実」を受け入れる素直な体質である為に、正しく物事を見る事ができる様に成って行く事に比例して、コンプレックスから来る闘争心や自己卑下というものからも解放されて行きますので、

 

何に縛られる事もなく子供の様に心が大らかに成って行き、全てのものから自由でいられる人間という事でもあります。

 

自分の事でも他者の事でも事実をありのまま受け入れて、リラックスして気持ちが大らかでいる時に、人間は一番力を発揮する動物なのであります♫ 

(*^^*) ~ ♫

 

 

 

 

 

 

 |  コラム一覧 | 

カテゴリ このコラムの執筆専門家

(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年