ブラウザの墓場 - ホームページ・Web制作全般 - 専門家プロファイル

谷口 浩一
株式会社チームデルタ 代表取締役
千葉県
Webプロデューサー

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閲覧数順 2024年04月19日更新

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ブラウザの墓場

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データファイル
ネット上には、たくさんのブラウザ達が眠る場所があります。
題して、「ブラウザの墓場」



こんにちは。
チームデルタの谷口です。



日本でインターネットの商用利用が始まったのが1992年。

今でこそ、インターネット=WWWのように捉えることが多いですが、インターネットで利用できるサービスの中で、WWW(今では簡単にWebなんて呼ばれてますが)が最も新しいって、ご存じですか?
WWWは、WebサーバとWebブラウザで実現するサービスですが、最初の仕組みがCERN(巨大粒子加速器を使って粒子を衝突させ、宇宙の起源であるビッグバンを小規模に再現しようとしている、あのCERNです)のティム・バーナーズ=リーにより提案されたのが1989年。

最初のマルチメディアブラウザであるMosaicが、NCSAのマーク・アンドリーセンによって開発されたのが1992年です。
それまでのインターネットサービスは、メール(ファイル添付もできなかった)とネットニュースだけでした。



僕が初めて触れたブラウザは、UNIXで動くMosaic。
見れるサイトのほとんどは英文で、日本のサイトなんてNTTのディレクトリサービスとわずかな大学だけでした。
その中にあって、「水野薬局(当時はあまりに有名)」なんてサイトがあったりして(笑)。


NCSAにMosaicの権利を奪われたマーク・アンドリーセンは後に、シリコングラフィックス (SGI)のジム・クラークとともに、モザイクコミュニケーションズ(後にネットスケープコミュニケーションズ)を起こし、その2年後には株式公開。
Netscapeはブラウザの標準になろうとしていました。
その頃、”曙(akebono)”、”小錦(konishiki)”という2台のワークステーションにインストールされた初期のYahooがスタンフォード大学のネットワークをパンクさせ、ならず者扱いだったジェリー・ヤンとデビット・ファイロに助け舟を出したのがマーク・アンドリーセンだったってことは有名な話です。

一方、Mosaicのライセンスを得たNCSAは、後にスパイグラス社にそれを与え、さらにスパイグラス社からライセンスを受けたマイクロソフトは、Mosaicのコードを元にInternet Explorerを開発したのでした。
一時期、シェア争いを繰り広げた両雄も、元をたどれば同じコードだった、というわけです。



話が逸れてしまいました。
ブラウザの墓場をのぞいてみて驚くのは、こんなにたくさんのブラウザが世に出て、そして消えて行ったこと。
”HotJava”なんてブラウザも眠っています。
日本で最も早い時期、Java使いだった僕としては涙ものです。


Netscape2.0では、Javaやが初めてサポートされました。
当時、Javaを使ってWebとOracleを連携させるために苦労していた僕を救ってくれたのは、Paul Ambroseというアメリカ人でした。
その頃、オフィス兼寝室で1日を過ごしていた彼とともに、パソコンなんてほったらかしにしてハワイでのんびり過ごすことを夢見てました。
その後、WebLogic社を起こした彼は、瞬く間に有名に。
そしてWebLogicをBEAに売却。
その額100数十億円だったとか。。。
今じゃ、ハワイでのんびりどころか、ジェットセッターじゃん!(笑)



話題の最新ブラウザ、Google Chrome がここに眠る頃、僕らはどんなブラウザを使ってるんでしょうね。


業界の方々。
思わず古いバージョンでのチェックが必要になったとき(あるでしょ?)には是非。
 
 

成功するWeb戦略とホームページ制作のチームデルタ
谷口浩一