善い人間関係の集まりとは?
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徒然日記
2014-04-12 09:00
その言葉の通り、人は自分の発している気に近い人達と一緒に居たくなるものです。
そこで気の合うグループを作って仲良く過ごしたとしましょう。
例えばスピリチュアルなことが好きな人達が集まって、パワースポットに行ったり、新しい占いのやり方を聞いたり…。
様々なことを知って、セラピーなども始めて上手くいっているような気がします。
ですが、実は何も得ていないのです。
真理を知らずして、人間として成長することはありません。
恋愛も同じなのですが、人間関係をどうやって選んでいるかが問題なのです。
多くの場合、自分に足りない何かを埋めるために付き合います。
寂しさを埋めるためだったり、退屈を埋めるためだったり、性的な欲求を満足させるためだったり…。
自分の心の隙間を埋めるために付き合うのであれば、それは人間関係の売買のようなものになってしまいます。
私の心の師である松井さんが常々言っておりました。
「ただの仲良しグループじゃダメなんだよねぇ。」と。
お金が好きな人は、お金が好きな人同士で共になり、怒りっぽい人は、怒りっぽい人同士で共になり、詐欺師は、詐欺師同士で共になります。
相手のことを知りたい時は、その人がどんな人と普段一緒にいるのかを知れば見当が付くものです。
ダメな男ばかり好きになる…という人は、自分自身も同じ気を発しているのだということに気付かねばなりません。
人間には集団欲というものがあると言われます。
一人で生きていけないのならば、いっそのこと善を行う人達と一緒にいるようにすればいいんです。
智慧のある人達と一緒にいると、自分にも智慧が付いてくるものなのです。
「気が合わない」という言葉があるように、ステージが違い過ぎると長く一緒にいることが出来ません。
むしろ苦しく感じることもあるのです。
それが悪い印象ならば、すぐに離れてしまえばいいんです。
でも、もし自分を成長させてくれる場所だと知ったなら、とにかく一生懸命付いていくようにすればいくことをオススメします。
人間というものは環境によって影響を受けるものです。
「善に触れれば善になる。」
ただ、それだけのことなのです。
もし善のグループから離れて、再び迷える子羊に戻ってしまったのであれば…。
同じ場所に戻れば、智慧を得る機会が再び訪れます。
ただし、智慧のある人を見分けることは容易ではありません。
自分自身に智慧が無いが故に、智慧がある人を見分けられないのです。
智慧が無い人に限って、自分を過大評価して宣伝するので、詐欺師に引っ掛かってしまうこともあります。
智慧を持つ人は、自らが智慧を持つことなど世間に言いまわることはしません。
「それならば、智慧のある人を探すことなど出来ないではないか。」
と思われるかもしれません。
だからこそ、お釈迦様が残した教えというものを学んで欲しいのです。
お釈迦様の残した教えを学んで実践すると、智慧というものが少しずつ身についてきます。
仏教の智慧は知識ではありません。
智慧が何かと言うことも、学んでいく内に解るようになっていきます。
自分で学ぶのであれば、怪しげな宗教団体に入る必要もありません。
仏教は独学でも十分に学ぶことが出来ます。
自らの智慧が身に付くと、智慧がある人の見分けが付くようになるのです。
面白いことなのですが、本当にそうなのです。
善のグループに所属して智慧を身に付ける。
それが幸せへの道なんです。
お互いに魂を顕現し合える人間関係を構築していきたいものですね(^_-)-☆
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