歪んだ世界を見ているのは誰?
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この世界というものを「ありのまま」に見る。
よく言われることではありますが、実のところ難しいのです。
まず第一に対象となるものの名前に縛られます。
「船」という言葉があります。
船を見たことがある人にとってはイメージ出来るものですよね。
ところが、そのイメージする船も様々です。
また船を一度も見たことが無い山奥に住む人に、手漕ぎボートを見せても、「風呂か?」と勘違いするかもしれません。
船が船として認識できるのは、今までの経験の蓄積なのです。
子供が色々な言葉を覚えていくように、あれこれと認識出来るようになることで思考も細やかになっていきます。
ただし、ものの名前というものは、幻も見せるようになるのです。
「これはあの有名なブランドの服なんだよ!」
と、ただの布に勝手な認識を付け加え、何が本物で何が偽物かも分からぬまま有り難がるようなことにもなります。
また、「あの人はあちこちで講演会を開いている凄い方なんだよ!」と、同じ煩悩に塗れた人間にも関わらず、拝み敬うようになるのです。
世間の噂話に流されてしまうのも、相手の本質を見抜けないのも、全ては目の前のものをありのままに見られないからなんですね。
別の言い方をすれば、物事を客観視出来ない…ということです。
自分の主観が入ってしまうから、ありのままの世界が見えないどころか、勝手に脚色して色眼鏡で見るようになってしまいます。
色眼鏡で見ているものを有り難がっているような状態は、ありのままを見る状態には程遠いのです。
ですが、大切なのは目の前にある対象物ではありません。
ありのままのものを見る自分ですらも、ありのままに見えていないのです。
自分が何者かも分からないのに、「ありのままの自分でいいんだよ。」というのは、おかしな話だと思いませんか?
対象物を映し出すレンズが歪んでいたら、この世界が歪んだものに見えてしまっても仕方ありません。
自分が何者かも分からない歪んだ認識で見るのだから、当然の如く、その認識というものは間違っていると言うより他はないのです。
自分が作り出した虚構の世界で生きていることにも気付かず、「あれが凄い、これが凄い」と、あれこれ追い求めている…。
まずは自分の認識が間違っていることに気付かねばなりません。
答えが間違っている事を知らねば、問題を正そうとはしませんよね?
生きる事に悩むのは、自分の認識が誤っているからです。
悩み苦しんでいる人は、まだ気付くチャンスに近づいているからいいのです。
より大変なのは、自分の歪みに気付くのではなく、見えている世界の歪みを正そうとする人達です。
自分が正しいという歪んだ認識しかないので、世の中をより良くしようとして、実は迷いを深くしていってしまいます。
可哀想なことですが、いくところまでいかないと気付かないのです。
周りはどうあれ、気付いた自分、気付きたい自分がいるのであれば、学びを深めながら実践していくしかありません。
ちょっとやってみて分からないのは当然です。
ちょっとしかやっていないのですから。
徹底的にやってみて、その時に初めて気付くことがある。
まずは一年やってみましょう。
そこまで継続出来たら、三年、五年とやっていけばいいんです。
とりあえずの一年、今からスタートしてみませんか?(^_-)-☆
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