- 井上 みやび子
- すぐ使える株式会社 代表取締役
- 東京都
- Webエンジニア
対象:Webマーケティング
- 森 美明
- (Webデザイナー)
- 和久井 海十
- (ITコンサルタント)
インターネットに関わる仕事をする者として、ネットいじめの問題は心が痛みます。ちょうど2つ、気になる話題が重なったので今日はこのテーマです。
NHKニュース「カナダ ネットいじめ考える国際会議」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131110/k10015941241000.html
カナダではネットいじめが原因の若年者自殺が増えた事から、子供達自身が参加する、対策を考える会議が開かれました。
映画「父の秘密」
こちらは、エピソードとしてはネットいじめを素材にしつつ、この世界が日常的に暴力(物理的なものと、一見優しさに見えるもの)を看過しているのだという事を描いたメキシコ映画(2012年、監督マイケル・フランコ)。2013年11月 現在、東京都渋谷ユーロスペースで公開中。
ネットは何が違うのか?
小さなスクリーンで繋がったネット世界が個人の意識の中では大きな重要性を占めるようになっているが、この場合の問題は、ネット世界に関わる動きを、物理的な姿としては隠す事もできるという事なのだ。つまり、人間の知覚では、殴られた痕があれば傍から見てそれと分かるが、隣にいる人が持っている小さな機械の中で起こっている事には気づく事ができない。
ネットでの活動は、何事についてもその外にはバレにくい。その時に、人間の残酷な本性が解放されるというのがまずは第一の問題。これは、「匿名掲示板は実名の場合より荒れる傾向がある」という点などを見るとどこにでもある問題なのだ。イジメや罵倒などの深刻な問題でなくても、人が見てないならゴミを放置する、とか、客が来たときだけ掃除をする、という事に身に覚えのある人も多いだろう。
子供達特有の問題
これに加えて、最近の若年者特有の問題としては、一人一人の中で、ネットの世界が占める重要度が大きい事が挙げられるだろう。
私のように社会人になってからコンピュータを使うようになった世代だと、IT関係の仕事をしていたとしても、ネットとは全く無関係の世界というのも生活に占める割合はかなり多い。ネットにあまり足を突っ込んでいない友人や親兄弟も多いからだ。あくまで、物理的な生活に必要な情報を得るためや、物理的な活動を行うための連絡手段としてネットに接している。主軸は物理的生活だ。
ところが今の子供達の場合は、ネットの中での活動が生活そのものとして大きな割合を占めている。人間の残酷な本性が解放される場で、傍からは問題を見る事ができない場で、1日の多くの時間を過ごさなければならない。
ネットに接続しなければいいという問題でもない。「既に」それが生活の一部である場合は、ネット世界から撤退するのは、我々の世代にしてみれば「会社を辞めてしまえばいいんだよ」「学校に行かなければいいんだよ」くらいのインパクトのある事なのだ。もちろん、勇気があり冷静な判断ができる人は会社を辞めて療養したり、学校を代わるか、別の方法で勉強する事もできるだろう。ただこの場合、お金や代替手段を十分担保していないとそれも難しい。子供達が自分でそのような判断をする事は不可能に近いだろう。
今も昔も共通する「リスクヘッジ」
昔ながらの猛烈サラリーマンが退職した後、行き場を無くすというのは最近よく聞く話だ。それに対する対策としてアドバイスされているのは、「会社以外の人間関係を持ちましょう」「仕事以外の趣味を持ちましょう」などだ。このアドバイスが遅きに失した世代というのはあると思うが、「団塊の世代」を過ぎたあたりから、だんだんと、一つの会社や仕事に依存しないという心構えもできてきているように思う。
それと同じで、ネットの利用についても、「ネットと無関係の人間関係を持ちましょう」「ネットが不要な活動時間を増やしましょう」といった、意識的な習慣の改革が必要だと思う。
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