- 中沢 努
- パンセ・ソバージュ・アンド・カンパニー 代表
- 東京都
- コンサルタント・研修講師・講演講師
対象:人材育成
病人を抱えたある家族から聞いた話しだ。
病人であるその老人は助かる見込みのない病にかかっており、病院を行ったり来たりしていた。
本当は入院できればよかったのだが、重篤を脱するとまた退院されられてしまうのだった。
ある夜のこと。
老人が痛みを訴えた。
家人は救急車を呼ぶことを躊躇した。
老人の家は静かな住宅街の中にあった。
そしてそこの住人達は互いに騒音を立てないように配慮し合っていたからである。
もちろん本当に具合が悪ければ救急車もやむを得ない。
しかしその晩の老人はなんとか大丈夫そうだった。
家人は救急車でなく、タクシーを呼んだ。
真っ暗な住宅地にタクシーが滑り込んできた。
苦しげな様子の老人を案じながら家人が「○○病院へ、苦しそうなので急いで下さい」と言った時だ。
運転手が2人に怒鳴り声を浴びせた。
「うちはタクシーだよ。病人ならば救急車を呼べばいいだろう」
運転手と喧嘩をしている場合でもないので、家人は運転手に頭を下げ、病院へ向かってもらったそうだ。
私は思った。
「言われなき怒号を浴びせられた家人もお気の毒だが、運転手はもっとかわいそうだ」
苦しんでいる老人を目の当りにしたら、「大丈夫ですか、頑張ってください」という気持ちが自然に湧き出てくるものだ。
静かな住宅街を見れば、救急車を呼ばなかった理由を察することも難くない。
義務だとか責任だとかそういうこと以前に、目の前に苦しんでいる人がいたら、その生々しさに痛みや動揺を感じるものだ。
病気の老人を抱えた家族に共感し、やさしく接するのが自然である。
それが「生き物」として、「人間」として、正常な在り方だ。
それがそう思わないのである。
きっとその運転手は、正常な本能が歪んでしまうような「何か」を抱えているのだろう。
マルクスは、人間的なものが物であるかのように意識されたり、また物のように扱われることを「物象化」と言った。
この運転手は「苦しむ老人」を「人」としてではなく「物」として意識し、“もの的”に扱った。
それは、運転手が自分自身を「人」ではなく「物」として扱っていることを意味している。
他人を物のように扱う人というのは、実は自分自身が物になってしまっている。
だからそのようなことができるのだ。
社員を物のように扱う社長。
部下を物のように扱う上司。
派遣社員を物のように扱う正社員。
すさんだ職場、すさんだ社会・・・。
あなたの身近に「人間でない人間」はいるだろうか?
あなたは、知らず知らずのうちに「物象化」していないだろうか?
(中沢努「思考のための習作」から抜粋)
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