二十一世紀の初め、ヒトやイネの全遺伝子暗号が解読された。ヒトの場合、万巻の書物に匹敵する情報が一?の二千億分の一という極微の空間に書き込まれている。そして今、私たちの体の中で、いのちの誕生以来一刻の休みもなく整然と働き続けている。
私はこの事実を知ったとき、細胞の誕生や、その後の生物の進化が、単なる偶然だけで出来上がったとき到底考えられなかった。そこには、サムシング・グレートとしか呼べない、人知を超えた不思議な働きがあると思った。
ヒトのゲノム(全遺伝子情報)は、わずか四つの塩基で構成され、この塩基のペアが約三十億個連なっている。塩基の配列が偶然のものとするなら、私たち一人一人は、四の三十億乗分の一という奇跡的な確率で生まれてきたことになる。
そのようなことは、今の科学の常識ではあり得ない。
細胞一個、偶然にできる確率は、一億円の宝くじを百万回連続して当選したのと同じようなものである。このような確率から考えたとき、私は知的設計論の意見に近い。
しかし、私の考えるサムシング・グレートは、単なるデザインの問題ではない。
最初に生物を創ろうとする大自然の意志のようなものがあり、それに沿って、デザインがなされ、さらにいまなお一刻の休みもなく、働き続けている、全生物の親のような存在と働きをサムシング・グレートと名付けている。
世界中のお金を全部集めても、世界中の科学者を総動員しても、生きた細胞一つ、その構成要素である原子や分子からは生み出せない。私たちは他の動植物の「いのち」や大自然の恵みのおかげで生かされているのである。私は進化論を否定しないが、最初に生まれた細胞やヒトの誕生は、現在の進化論だけでは説明できないと考えている。