禍(わざわい)も又幸いなり♫ - 心・メンタルとダイエット - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:ダイエット

佐久間 健一
佐久間 健一
(ボディメイクトレーナー)

閲覧数順 2024年04月25日更新

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禍(わざわい)も又幸いなり♫

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皆様は占いとか方位とか、或いは霊能者や預言者等の言う事を気になさる方ですか? それとも???

(^^ゞ

 

私達は自分の運を良くしたいと思い、無意識にいつもどこかに「いつも良い事しか起こらない様に」と願っていて、その様なものに惹かれてしまう傾向にありますよね?

 

それはどなたであっても(勿論私も)、いつも幸せでいる事を望むのは人間の性(サガ)なのですが、でも私はそういう「負を避ける術」ばかりを考えるものには、或る時から疑問を持つ様になりました。

( ・・)?

 

 

それはどの様なものかと言いますと、

 

「縁起」や「因果」、そして「魂の成長」という視野で人生を観た時に、果たして「いつも良い事ばかりが起きる様に占いや方位や霊能者や預言者等のアドバイスに従い、禍を避け続けた結果はどこに行くのだろう?」という疑問です。

《 ゚Д゚》!

 

宇宙には感情というものが無いので、 誰のせいでもない "自分が起因となり、それに見合った結果を受ける" という「因果の法則」は、どなたにも公平に平等に一分の狂い無く正確に働くという事に目を向けると、

 

「嫌な事は避けたい」「自分には絶えず良い事しか起こって欲しくない」と望む行為は、自分が「因」となった結果として負わなければならない「負」から逃げ回るという、もしかしたらとても傲慢な行為にもなっているのではないのか?という疑問ですね。

《 ゚Д゚》!!

 

 

 

つまり逆から捉えると「その負を受ける事で、悪い事が起こる因が解消される」という事になっている訳で、必ずしも「禍」は一概に「不幸」であるとは言えないなぁという事なのです。

《 ゚Д゚》☆彡

 

 

その様な観点から見ますと、「いつか必ず受けなくてはならない結果」が起きない様に避け続ける行為は「負の貯金=返さねばならないものの先延ばし」をしているのと同じ事かもしれず、

それが後になって、一気にドーンと大きな禍を受けてしまう事に繋がっているのかもしれませんよね?

 

そういう意味では「小出しの禍を、ちゃんとこまめに受けていた方が良かったのかも!?」 なんていう発想もできる訳です。(笑)

(^^♪

 

 

ですから、そういう一見「負」と思える様なものを自分に与えてくれる様な人には、逆に「感謝」をしなければならない存在なのかもしれない!?などという発想も生まれます♫

☆_(_☆_)_☆

 

 

そしてそういう事を考える時には、とても大事な基本があります。

それは、

 

★ どなたも自分が受ける果の原因は「自分しかいない」という事を知る事。

★ 故にどなたも、他人の因の責任まで負う必要は無いのだという事。

 

そして、

★ どなたも自分にできるのは「自分の因に自己責任を持つ事」だけであり、お互い未熟な者同士である私達人間が、他人の因と果に干渉や判断をするのは傲慢な行為であると知る事。

 

 

私達は何か自分に取って悪い事が起きると、それを他人のせいにしてしまいたいという悪癖があるのですね。

自分の事を棚に上げて、他人の「因」の事をあれこれ言ったり判断したり、相手に「変われ」という様に求める前に、自分というものを見つめ直す事の方が先であるという事です。

《 ゚Д゚》☆彡

 

 

人のせいにするのは簡単ですが、その様な対処を自分の中でしている内は「負の因」の連鎖からその人は抜け出せないという事でもあります。

( ・・) ~~~ ★彡

 

 

★ 人が何か行為を起こす時には、ちゃんとその人なりの理由が有ってしている事で、これは他人が正しく判断する事はできないものであるという謙虚な視野。

★ 人はそれぞれ自分の経験から学んで成長して行くもので、他人がそこに介入して相手をコントロールしたり、その人の学びの邪魔をできるものではないという謙虚な視野。

 

 

この様に人間は各自の「自己責任」で成長して行くという捉え方は、とても大事になって来ると私は思います。

(^^✿

 

ものを考えたり行動する時にはこの基本が各自に無いと、人を憎んだり恨む事で自分の問題から目を背ける事になり、

それは強いては「運を良くする=起因を良くする=幸せに向かう」事にはならず、「禍も幸いなり」には結び付かないものなのでありましょう。

 

 

もしその基本に気付けた人ならば、もう悪い因を自分に積まない様に自動的になってしまうので、

 その人に取っての「禍」は、只 "時間差で生まれた過去の負の解消(それを受けたら終わる)" となるだけなので、その「禍」は有り難いものになり、

 

後は「幸せ」に向かう因を積み重ねて行けば良いという人生にシフトチェンジできるのですから、

「禍も、又幸いなり♫」になるのです。~ ♡

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

      

     「禍」と思えるものも振り向くと         「幸い」なのかもしれません♫

 

 

 

              

                ゴールデンウイーク中に訪れた神社。

     沢山の参拝者の方達がいる中で、アオサギさんは池の中に静かに佇んでおられました♫ 

 

 

 

 

 

私達は過去は変えられないけれど、未来は「今の自分」が変えて行けます。

そして、誰もがその時その時の精一杯で一生懸命生きている事には変わりがありません。

( ・・) ~ ☆彡

 

自分が変えられるのは自分だけ。

それは他人によって変えられるものではありませんし、又誰も他人を変えられるものではないのです。

(^^✿

 

人というのは何かが起きた後に、人に干渉されずともそれぞれちゃんと自分で考えて成長しているものです。

(^^♪

 

「全てはあるがままで良い」と良く言われますが、

それは「因果の法則」と「各自が自己責任の元、自分で感じ考えて成長している」という事を、深く理解された方の言葉なのではないかと私は思います♫

(^^✿

 

 

 

 

 

 

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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年