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中舎 重之
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閲覧数順 2016年12月07日更新

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京都:獅子谷 法然院

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            し  し が だに  ほう  ねん いん           

        獅  子  谷   法  然  院






      京都市左京区鹿が谷にある浄土宗のお寺です。       

  建永元年(1206)、法然上人の弟子である住蓮房と    

  安楽房が、如法念仏を修めたのに始まります。         

    その後、衰退しましたが延宝8年(1680)、       

  知恩院の三十八世法主 玄誉万無大和尚が再興しました。


          本堂には、恵心僧都の作になる阿弥陀仏座像と、       

  法然上人の自作と言われる座像を安置しています。
 


        桃山御殿の遺構を移した云われる方丈内には、       

  徳川時代初期の狩野派の手による、フスマ絵があり、       

  雄麗な姿を魅せています。










       京に入りて、まず第一に訪問したお寺は、洛東に静かに座す     

  ところの法然院です。     

  法然院は、銀閣寺の東方数間のところに位置しており、   

  歩いても数分のところです。多くの人々は銀閣寺を訪ねて、   

  銀沙灘に感嘆して、次の目的地に直行します。法然院がある     

  ことすら知りません。従って、此の地まで足をのばす者は稀です。      

  法然院は、喧噪の外にあり、常寂の浄地を保っております。


        私達は、「獅子谷法然院」の石標を左に見つつ歩を進めます。      

  「獅子谷」 此の字を見て、不思議に思いました。     

  平家物語では、俊寛僧都の談合の地であり、それは「鹿が谷」     

  とありました。 「鹿」が「獅子」に変わるには理由があるので     

  しょうか。獅子は、日本には存在しない動物です。鹿や猪は古来     

  より生息しております。 昔の里の人々は、猪が谷とか鹿が谷と     

  呼んでいたのに違いありません。       

    それを「獅子谷」と書くからには、確かな意図があると思われ     

  ます。 仏教が中国からの伝来であり、中国の文化を色濃く反映     

  しています。東洋でも西洋でも、古くから東西南北の四方に神獣      

  霊鳥を配する事が行われています。       

    大陸では、東は青龍、南に朱雀、西は白虎、北に玄武を置き、      

  中央には獅子が座ります。すなわち、百獣の王たる「獅子」を     

  最高位のシンボルとして中央にクライを与えたのでしょう。       

    獅子が最高のシンボルであるならば、浄土宗の中心となる        

  谷の名前を、鹿が谷と呼ぶよりも、「獅子谷」とした方が神聖感      

  が出て、仏の座位に相応しいと思います。    

    浄土宗の門徒としては、此の地が文字通りの獅子座であったの      

  でしょう。


        ゆっくりと、静かに話しをしている内に法然院の黒塗り総門の   

  前に着きました。厳然たる姿は、如何にも格正そのものの美しさ     

  があります。塵ひとつない山内に入ると、まことに静かです。    

  俗界を離れた感があります。七段の石段の上には、つつましやか   

  に建っている茅葺き門があります。修行道場らしい静寂が漂って   

  います。それらは、全て清澄の気を漲らせおり、法然院のすべて   

  が此処にあると思いました。


        此の法然院は、法然上人が修行した遺構ではありません。     

  四代将軍 家綱のころ、知恩院の法主 玄誉万無大和尚が弟子の      

  忍徴という龍象を得て、彼に法然上人の霊跡を保存復興するよう   

  命じたとの事です。       

    この事は、後で知ったのですが、玄誉万無大和尚が意図したも   

  のは、僧風の紊乱に対する粛正との事でした。 それは、同時に   

  法然上人が専修念仏を唱えた1175年(承安3)の時代の苦慮   

  とを思わせるものがあります。


        茅葺きの門をくぐり、前庭に入ると様相が一変して、華やかさ      

  が満ちており、当方を戸惑わせるに十分でした。     

  それは、通路の左右に広大な砂盛りがあり、砂の頂上には右側が   

  鶴の模様を描き、左側には亀を上手に表している。   

  自分には、鶴や亀の模様は小細工をしすぎている感があり、好き   

  になれないのです。       

    要するに、砂盛り本来の役目は、山内を清浄に保つために存在   

  すべきであり、目的を忘れての造り物は不要と思っています。


        その庭を横切り、玄関にて案内を乞う。学僧が出てきて私達を      

  招じ入れてくれました。 参拝者名簿を差し出し、住所・氏名を   

  記入との事ですのでページをめくります。そこには各地から上洛   

  し参拝した人々の名前が連ねてありました。それが、ことごとく   

  毛筆であり、用意されているのも毛筆でした。       

    これには困りました。毛筆を使うことのない生活をしてきたの      

  ですから、無理難題というものです。そこで、恐る恐る「ペン」      

  の使用を申し出ました。すると、「ペンでも良い」との答え。       

  この時の当方の心境を察して頂きたい。


        さて、いよいよ本堂に参籠しました。 御本尊 阿弥陀如来の     

  お姿を西方に仰ぎみて、驚愕しました。 礼拝の間を暗くし、     

  御本尊の両側から明りを採り入れて、寂光浄土の如来の世界を、      

  この世に現出させているのです。ひかりを此程たくみに演出し、   

  見る者を別の世界に引き込む効果は見事と言えます。   


        さらに、御本尊 如来の須弥壇の下には思い切った広い板敷の   

  壇があり、そこには季節の花 この日は椿を散華してありました。      

  これらの花は、御本尊の真下から放射状に撒かれており、第一列   

  は3箇、第二列は4、第三列は5、第四列は6、第五列は7箇と   

  計25箇もあります。 これは、阿弥陀様の脇侍二十五菩薩に、      

  なぞらえているのだそうです。       

    しかも、拭き清められた板の漆塗りが鏡の作用をなして、花の   

  もう一つの姿を底に映しており、池の面に浮かぶ花々のようです。      

  まことに、色彩豊かな本堂と言えます。


        此の風習は、むかし ある住職が昨日咲いて昨夕に庭に落ちた   

  花々を、今朝のまだきの掃除に、そのまま箒で掃き捨てるには、   

  惜しい。せめて、もう一日でも命を延ばしてやりたいとの み心   

  にて、これを集めて、弥陀の脚下に運び来て、文字通り散華した   

  との事です。花の最後の日の、あと一日の供養にも役に立てた、   

  と云われています。

        なんという、美しい心でしょう。せっかくの花の生命を、もう   

  一日のばしてやる。供花の功徳を一刻でも延ばしてやる。     

  捨て去るべき哀れな花に、一日一刻の再生を与える。     

  宗教というものの心が、そこにあり、仏果というものが現世にも   

  あるのだと感じました。       

    わたしには、云うべき言葉がありません。ただただ、静かに     

  あたまを下げるのみです。












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