「我慢」は美徳とはならない - 心・メンタルとダイエット - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
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「我慢」は美徳とはならない

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多くの日本人の方は、ご自分が不快に感じられたり、相手に止めて欲しいと思っている事や、ご自分が本当に思っている事を "口には出さない" というのが「美徳」とされているせいか(或いは「人に嫌われない為」なのか)、

 

ご自分が感じた事を「正直に相手に伝える」という事を躊躇される方がとても多い様ですね~。

(^^ゞ

 

 

そこで今回は、そうして「我慢する事が良い」とされている「犠牲的精神」は、果たして本当の美徳なのかどうか?というお話しを・・・。_(_^_)_

 

 

皆様は、人間が「我慢」をする時は、どんな時だと思われますか?

 

 

私達人間に限らず、元来生き物というものは、「自由」をこよなく愛するのが本性であり、それが自然な事でありますから、「我慢する」という行為は大変不自然であり、どなた様に取りましても大変息の詰まる様な行為のはずです。(^^;

 

ですのに、どうして人は「我慢」をするのかというと、そういう時は必ず裏に「何かを得る為」か「何かを守る為」という動機が有るからです。《゚Д゚》!!

 

元来とても我儘な私達人間は、そういう目的や見返りというものが無ければ、一体誰が「我慢」などするものでしょう!?(笑)

それは、絶対有り得ません!(笑)

(; ̄O ̄)

 

これは、ここでコラムを書き始めた頃に「アナと雪の女王」の映画を観た感想から「犠牲と奉仕の違い」という題でも書かせて頂いた事がありますが、

 

表に見えるものが、結果として同じ行為に見えるとしても、「自己犠牲」という受け身の "我慢" が伴う行為は、自発的な行為=慈愛・慈悲からの「奉仕」とは全く根本が違いますので、決して「美徳」などにはならないと、私は断言致します。

 

何故なら「我慢」からは、最終的には自分にも、そして相手にも、何一つ精神的に建設的なものを生まないからです。

( ; _ ; )

 

 

その様な「他人の為にする自己犠牲」は、逆から観ると「自分を蔑ろにする行為」にもなっているのです。

そしてその行為は、決してどなた様も、結果は幸せになる事の無い行為です。《゚Д゚》!!

 

 

だって、ご自分を大事にされない方の行為が、本当の意味で他人を幸福にできるのでしょうか???

もし、誰かの犠牲の上に「自分の幸せ」があると分かったら、それを受ける側の者は、果たして本当に幸せを感じるでしょうか?(^^;;

 

いいえ。

人間らしい心が有る者ならば、そういうものを受け取った時には、その方は自分自身に対して「罪悪感」を感じてしまうはずです。

受け取る側は「犠牲」になってくれた相手に感謝をするかもしれませんが、それとセットに「罪悪感」や「悲しみ」というものが自分に付いて回ってしまうのです。

 

 

皆様は、相手がそう感じてしまうものを、人に差し上げたいと思われますか?( ; _ ; )

本来は必要の無いものを抱えてしまう「犠牲」というものの生み出す「偽善」と「矛盾」に、どうか気付いてみて下さい。

_(_^_)_

 

 

 

多くの方が、「自分さえ我慢すれば良いのだ。それが最良の方法なのだ」と、それを頭で "美徳" と思い込んで、或いは打算的に行動されるのですが、

それが後々になって(多くの場合、年を取ってから?)、それが「奉仕」ではなく「何か見返りを期待した故の、自己犠牲の行為だった」と気付かれた時に、人間は豹変する事があります。(・□・;)

 

 

その時は、自分の感覚が相手への恨みがましいものになり、「憎しみ」「腹立たしさ」「悲しみ」「後悔」などに変化してしまうからですね。

 つまり当初は「それが善かれ」と頭で思い込んでいて気付かなかったものが、自分で見えてしまった瞬間、その裏にご自分が隠されていた真実が浮き彫りになって、

そこから、そういう被害妄想的なネガティブな感情を感じてしまうのが「自己犠牲」というものなのです。(^^;;

 

 

その時には、「自分は誰か(何か)の為に、我慢 "させられた"」「私が自分の本音を押し殺して我慢したあの行為は、自分に取って、全体に取って、一体どんな意味が有ったのだろうか?」という被害者意識に感覚に変わってしまうので、

自分の中にそういうネガティブな感情が湧いて来てしまうカラクリになっているのです。(^^;;

 

 

「奉仕」と「犠牲」は、似て非なるものです。 

何故なら「奉仕」には存在する「喜び」というものが、「犠牲」の行為には無いからです。( ; _ ; )

 

 

「犠牲」から生まれるものは「悲しみ・怒り・後悔・罪悪感・嫉妬・無力感」等々ですが、それらは決して美徳ではありません。

 

何故なら、人間がこの世に生まれて来る本来の究極の目的は、「喜び」の為だからです。

《゚Д゚》☆彡☆彡☆彡

 

 

ですので現在もしご自分が、どなたかに「こうして欲しい」、或いは「これはして欲しくない」という事があり、もし相手が気付いていない(或いは意図的であったとしても)、それはハッキリと相手の為にも伝えるべきだと私は思います。

 

人間というものは、自分の「自己責任」と「誠意」の元、直接自分の口から相手に伝えなければ、本当の自分というものを理解してもらえないのです。

 

 

でもその時に、大切なルールというものがあります。

それは、伝える相手に決して「怒りを持って伝えてはならない」という事です。《゚Д゚》☆彡

これはとても大事なポイントになります。

☆_(_☆_)_☆

 

 

そして、このルールには「人生の黄金律」と名付けても良い、深い深い叡智が存在します。《゚Д゚》☆彡

・・・が、長くなりますので、この続きは次回のコラムでお話しさせて頂きます♫

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

 

何て優しい色合いの空でせうか♫

(^^ ♡

 

 

 

 

 

 

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舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年