奈良:室生寺 - 生涯学習 - 専門家プロファイル

中舎 重之
建築家

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稲垣 史朗
稲垣 史朗
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閲覧数順 2024年04月28日更新

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          奈良:室生寺

室生寺は奈良県の東端の山中にあるお寺です。

住所は奈良県宇陀郡室生村室生です。近鉄大阪線室生口大野駅で下車して、1時間に1便のバスに乗ります。

バスが走り出して間もなく、右手に枝垂れ桜で有名な大野寺が見えます。

左には宇陀川の対岸に巨大な岩壁があり、磨崖仏が刻みこまれているのが目に入ります。 

バスの中からささやかに拝しました。バスは非常にゆっくりと川沿いの狭い道を走り、

20分位で終点の室生寺前に着きました。バスを離れて少し歩き左に折れます。 

そこには、朱塗りの反り橋が見え、橋の向こうの右手に「女人高野室生寺」の石碑が立ち、

正面には檜皮葺き屋根を持つ表門があります。門に続く白い土塀が川に沿い右へと吾々を導びいてくれます。 

室生寺です。


  女人の参詣を禁止した真言宗総本山・高野山金剛峰寺に対して、 

古くから、と云っても江戸時代元禄7年に桂昌院と護持院隆光との力により、

女性に開放され、「女人高野」として信仰を集めました。

室生寺は古くは龍王寺と呼ばれて、水神信仰と深く関わりがあります。

室生川を上流に遡ると東谷の妙吉祥龍穴、西谷の沙羅維吉祥龍穴、中之尾の持法吉祥龍穴と名だたる、

龍神の霊窟があります。龍穴とは恐ろしげな名前ですが、これは里の人々を遠ざける為の方便です。 

実は古代の鉱山の跡のようです。採掘したのは「丹」です。丹(に)は朱砂であり、

その鉱脈のある所のことを「丹生」といいます。 

朱砂は、そのまま朱色の顔料となり、古墳の彩色に使われてます。  

精製により水銀にもなります。水銀は白粉の原料でもあります。


伊勢神宮では、御使が暦と白粉を持って全国を廻っています。

地名に丹生(にう)が付けば、そこは赤色の土がある場所を示します。

とても古い丹生明神の三社が吉野川上流にありますので、西は高野山に始まり、

東は伊勢神宮までの紀伊半島全体が、超の付く極秘の地勢なのです。

其処には、貴重な資源が埋蔵されて居るのです。


  話を室生寺に戻します。

表門から砂利敷きの参道を進み、拝観受付を過ぎると右手に赤い仁王門が迎えてくれます。

参道の白さ、周囲の新緑の木々、朱色の門と見事なコントラストを見せて、とても印象的です。

仁王門をくぐり、広い参道を進むと左に折れます。

そこには広々とした石段が眼前に迫ります。

河原の石を半分に割り、扁平な方を上に向けて敷いています。

横に広がる石段の形が、鎧の「さね」を編み上げた如く見える事から「鎧坂」の名が付いたようです。 

此処を登る時は、足もとに注意をはらい一歩一段と踏み場を見つけて歩くべき石段です。 

途中で一息入れて下さい。檜皮葺きの屋根が浮かんでいるかのように見えます。 

金堂の姿がかいま見えました。  石段はまだまだ続きます。 石段を登り切ると狭い平地に出ます。


正面に金堂が一段と高い所にあります。 

金堂を後回しにして、まずは此の踊り場の左手に見えている小振りな弥勒堂を先にお参りします。 

正面・側面が三間で、屋根は入母屋造りです。 

堂が小さい分だけ軒の深さを感じさせ、軒の隅がほんの少し上がっているだけなのに、

鳳が翼を広げようとしているかの様に見えました。 不思議な感じです。しばし見入りました。 

弥勒堂の中には、国宝の釈迦如来像があります。

写真家の土門拳が「白木の美しさが像に美しさを与えている」と絶賛しています。 

私は、もう一体の白木の弥勒菩薩(重文)に心が牽かれます。お顔に木目が同心円にひろがり、

高い細身の鼻、小振りの口と軟らかい唇、豊かではあるが引き締まった頬、とてつもなく魅力のあるお顔です。 

躯の割にお顔が大きいのにも親しみが持てます。

此の像の技法は、南洋方面の高価な香木で彫る「壇木造り」と云うそうです。

堅い材料のため、像を刻むには、非常に高い技術を必要とされている様です。


  弥勒堂を出て、改めて金堂と対面します。

金堂自体は此の踊り場よりかなり高い崖の上にあり、前方に懸造りの舞台が迫り出しています。

舞台からの屋根の軒は、かなり低く押さえられており、お寺特有の威圧するイメージはありません。

此の屋根の低さが妙にやさしく感じられ、不思議です。

金堂に上るには、金堂の脇にある石段を使います。一段ずつ上りつつ、金堂を見上げて楽しくなりました。

金堂の側面が、先ほどの謎を解いてくれました。金堂の旧の姿は、正面五間、側面四間の寄せ棟でした。

そこに参拝者のために、ひと間の礼堂を前方に造ったのです。

もちろん舞台も一緒にです。雨の多い山中のお寺ならではの心遣いと思います。 

嬉しくなる優しさです。


  金堂(国宝)には、国宝の伝釈迦如来(薬師如来)を中心にして諸仏が並んでいます。

手前には、小振り十二紳将が様々な表情をして、吾々を迎えてくれてます。 

私は、左の端に立たれて居られる十一面観音像(国宝)に心が動きます。

この観音様のお顔は、どこか身近の人に感じられます。

今にも物を言いそうな口許、若さを示す反り返る上唇、その唇の残る朱が妙に艶っぽい。

ヒタイより高くまるみのある豊かな頬、視線がどこに向けられているのか解らない瞳は謎を呼びます。

御歳、十七、十八の健康な娘さんの様でもあり、洵に親しみのあるお姿です。


  弥勒堂、金堂と参詣して、次なるは本堂=灌頂堂(国宝)へ向かいます。

再び、長くて急な石段を登ります。ひときわ大きい本堂の屋根が目に付きます。

屋根は檜皮葺きの入母屋造りです。見るからに軒反りが強く、若々しく清新な感じがあります。

まさに、両翼を拡げた鳳凰を思わせしめるものが有ります。 

本堂は、正面と側面は五間で、お寺では珍しい蔀戸(しとみど)が下りています。

蔀戸は寝殿造りに使われる、いわば住宅の戸です。此の建物に言い知れぬ親近感を起こさせるのは、

蔀戸の効果かもしれません。本尊は、如意輪観音座像(重文)ですが、普段では拝観が出来ません。


  室生寺の楽しさは、山の傾斜を利用して、一堂ごとに一段と高い地に堂宇を構築している事です。 

さて次なる段丘へと向かいます。 石段の真正面の高い処には、室生寺を代表する国宝の五重塔が見えています。 

この塔は、平成十年の紀伊半島の台風の時に、一本の樹木が倒れ、塔の屋根の一角が五層にわたり破壊された。 

修復は直ちに着手され、二年後には塔は見事に甦りました。

屋根は新しい檜皮で葺き替えられ、塔自体もきれいに彩色を施され、初々しい姿になりました。

総体的には朱塗りですが、軒先には白土で、垂木の端や木組には黄土色で塗られています。 

塔としては、我が国で最小のもので、総高16mです。奈良時代の塔の平均高さの約三分の一の高さだそうです。

可憐そのものであり、清らかな塔です。

ちなみに、参考として他寺の塔の高さを記します。

塔としては小さい方の飛鳥時代の法隆寺の五重塔が32m、奈良時代の薬師寺の三重塔が34m、

室町時代の興福寺の塔が50mです。


  この寺の開祖は、奈良時代に興福寺の名僧・賢璟(けんきょう)大僧都が、

勅命を受けて国家鎮護の寺として建立しました。 伽藍の整備は、その弟子・修円僧都が引き継いで行った。

そして、その後を弘法大師・空海が室生の寺を完成させたと言われています。 

五重塔からは、奥の院へち五百段の石段が待っています。

当方は登るの断念して、引き返す事にしました。

五重塔からの石段を下りながら、眼下の本堂の大屋根を眺められる位置に来て足が止まりました。 

入母屋造りの複雑な大屋根が威圧する事なく、穏やかに広がっています。

背面の屋根と側面の屋根が合流する棟の柔らかいカーブ、曲線だけが持つ美しさを見せています。 

しばし、見取れてしまいました。


  此の時、気が付きました。室生寺の屋根には瓦葺きが皆無です。

すべて檜皮葺きの屋根に統一されているのです。

五重塔の美しさも、やさしさも、この檜皮葺きの屋根があればこそなのです。

これは同時に、すべての室生寺の伽藍に当て嵌まります。 

さらに言えば、伽藍から来るお寺全体の雰囲気を、限りなく優雅にしており、

これこそが 「女人高野」 そのものなのです。


                          2013年 春  中舎重之





















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