労働者災害補償保険法の業務災害の業務起因性が肯定された事例 - 民事家事・生活トラブル全般 - 専門家プロファイル

村田 英幸
村田法律事務所 弁護士
東京都
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労働者災害補償保険法の業務災害の業務起因性が肯定された事例

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相続

労働者災害補償保険法の業務災害の業務起因性が肯定された事例

最高裁判決平成16年9月7日、療養補償給付不支給処分取消請求事件

最高裁判所裁判集民事215号41頁、判例タイムズ1164号119頁

【判示事項】 ヘリコバクター・ピロリ菌感染という基礎疾患及び慢性十二指腸かいようの既往症を有する貿易会社の営業員が海外出張中に発症したせん孔性十二指腸かいようが業務上の疾病に当たるとされた事例

【判決要旨】 ヘリコバクター・ピロリ菌感染という基礎疾患及び慢性十二指腸かいようの既往症を有する貿易会社の営業員が海外出張中にせん孔性十二指腸かいようを発症した場合につき,上記営業員が4日間にわたる国内出張後,重要な外国人顧客に同行して12日間に6つの国と地域を回り,休日もなく連日商談,接待等のため長時間の勤務を続けており,これにより上記営業員には異例に強い精神的及び肉体的な負担が掛かっていたものと考えられ,他に確たる発症因子があったことがうかがわれないなど判示の事情の下においては,同人の発症したせん孔性十二指腸かいようは業務上の疾病に当たる。

【参照条文】 労働者災害補償保険法7条1項

       労働者災害補償保険法(平7法35号改正前)12条の8第1項、2項

       労働基準法75条1項

       労働基準法(平11法160号改正前)75条2項

       労働基準法施行規則35条、労働基準法施行規則別表1の2

 1 本件は,ヘリコバクター・ピロリ菌感染という基礎疾患及び慢性十二指腸かいようという既往症を有する貿易会社の営業員が,海外出張中にせん孔性十二指腸かいよう(本件疾病)を発病したことにつき,それが業務上の疾病に当たるか否かが争われた事案である。

 2 Xは,平成元年11月20日から同月24日にかけて,神戸から大阪,東京,三重等に出張し,海外の顧客を上記各地の事業所に案内して商談ないし接待を行った。さらに,同月26日から同年12月9日までの予定で,大韓民国,台湾,シンガポール,マレイシア,タイ及び香港を出張先とし,勤務先会社の外国人社長と共に,同社の顧客である英国会社の英国人取締役の出張に随行し,現地代理店の業務の促進,営業等を行うこととなった。この海外出張中の同月7日(12日目)にXは本件疾病を発病した。

 3 Xは,昭和27年に出生し(本件疾病を発症した平成元年当時は37歳),昭和44年ころに十二指腸かいようにり患し,同55年ころにも十二指腸かいようの傾向があるとして治療を受けた。さらに,同63年2月,腹部に痛みがあったため病院で受診したところ,十二指腸球部に活動期のかいよう2個及び治癒期のかいよう1個が発見された。この発症部位は本件疾病の発症部位とほぼ同一である。同病院では,上記疾病の治療として,抗かいよう剤の投与と食事指導が行われ,その結果,同年3月1日には自覚症状が消失した。

 ところで,十二指腸かいようその他の消化性かいようは,胃液中の塩酸によって活性化されたペプシンの消化作用により生ずる胃や十二指腸を中心とした上部消化管の壁組織欠損をいい,せん孔はその合併症である。消化性かいようの発生について,近時においては,人の胃粘膜などに生育するグラム陰性のらせん菌であるヘリコバクター・ピロリ菌の感染が重要な要素であり,消化性かいようはヘリコバクター・ピロリ菌感染に伴う胃粘膜障害等にストレス等の複数の要因が加味されて発生することが多いと考えられるようになり,消化性かいようにり患した患者の中でヘリコバクター・ピロリ菌の除菌に成功した例とそうでない例との間ではその再発率に格段の相違があることが明らかになった。本件疾病も,Xのヘリコバクター・ピロリ菌感染を要因の一つとして,Xの既往症である慢性十二指腸かいようが再発してせん孔に至ったもののようである。

 4 XがYに対し労働者災害補償保険法に基づき療養補償給付の請求をしたところ,Yは,本件疾病は業務に起因することの明らかな疾病に当たらないとして不支給決定をした。本件は,Xが,Yに対し,その取消しを求めた事案である。

 5 第1,2審とも,本件各出張中の業務上のストレスが相対的に有力な原因として本件疾病を発症させたとまでは認めることはできず,かえって,Xが十二指腸かいようの治療を怠っていたことが本件疾病発症の原因ではないかと疑われるとして,本件疾病が業務に起因する疾病であると認めることはできないと判断し,Xの請求を棄却すべきものとした。

 Xからの上告受理申立てに対し,本判決は,本件疾病の発症は業務上の疾病に当たるとして,原判決を破棄し,第1審判決を取り消して,請求認容の自判をした。

 6 労働者災害補償保険法に基づく補償は,業務上の事由又は通勤による労働者の負傷,疾病,障害,死亡等に対して行われるものであって(労働者災害補償保険法1条),業務上の災害といえるためには上記疾病等と業務との間に相当因果関係があることが必要であると解されている(最高裁判決昭和51.11.12裁判集民事119号189頁,最高裁判決平成8.1.23裁判集民事178号83頁,判タ901号100頁等)。

 しかし,この相当因果関係の具体的内容の理解やその認定基準については,従来,判例上必ずしも確立した見解があるわけではなく,特に,複数の原因が影響し合って基礎疾患が悪化し,発病に至る脳血管疾患や虚血性心疾患の業務起因性(公務起因性も同じ)については,議論が錯綜している状況にあった。行政解釈は,相対的有力原因説(傷病等の原因のうち,業務が相対的に有力な原因であることを要するという考え方)を採っている。この相対的有力原因説の意義は,一方で条件説を否定し,他方で業務が最有力の原因である必要まではないことを明らかにするところにあったと考えられる。

 7 本判決は,原審の確定した事実関係に基づき,「Xが本件疾病の発症以前にその基礎となり得る素因又は疾患を有していたことは否定し難いが,同基礎疾患等が他に発症因子がなくてもその自然の経過によりせん孔を生ずる寸前にまで進行していたとみることは困難である。」と判断し,さらに,「本件各出張は,客観的にみて,特に過重な業務であったということができるところ,本件疾病について,他に確たる発症因子があったことはうかがわれない。そうすると,本件疾病は,Xの有していた基礎疾患等が本件各出張という特に過重な業務の遂行によりその自然の経過を超えて急激に悪化したことによって発症したものとみるのが相当であり,Xの業務の遂行と本件疾病の発症との間に相当因果関係の存在を肯定することができる。」と判断し,「本件疾病は,労働者災害補償保険法にいう業務上の疾病に当たるというべきである」と判示した。

 8 本判決は,これまでの最高裁判決と同様に,業務起因性の判断基準についての一般論に触れるものではなく,あくまでも事例判断を示したにすぎないものであるが,脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務起因性(公務起因性)に係る最高裁判決平成12.7.17裁判集民事198号461頁,最高裁判決平成9.4.25裁判集民事183号293頁,判タ944号93頁等と同様の判断手法に基づいて,十二指腸かいようの発病とヘリコバクター・ピロリ菌感染という基礎疾患等との関係が問題となった事例について判断を示したものであり,今後の実務に与える影響は少なくない。