- 大園 エリカ
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
- 東京都
- クラシックバレエ教師・振付家
世の中には所謂「憑依体質」と言われるタイプの方々が、実はごくごく普通に当たり前の様に私達の生活の中に日常的に数多く見受けられるのですが、皆様はこの様な方達を見分ける事ができますか?
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ちなみに" 憑依" という表現は、所謂「霊能者」と言われる様な特殊な能力を持たれた方達が、実際自分の眼に映る現象=霊視したものを表す時に良く好んで引用されますので、皆様も良くご存知でありましょう。
そしてその多くは「低級霊に憑依される」などという様なネガティブなイメージが定着してしまっているが為に、実は「高級霊に憑依される」というケースもあるという事はあまり知られていない様です。(人間は基本ネガティブで怖がりですからね~)
それ故、多くの方が自分では確認できない不可解さも相まって「気持ち悪い」という印象を持たれたり、証明できない胡散臭さから不信感を持ち、そういうものの見方を毛嫌いされる方もいらっしゃる一方で、「そういうものは自分の人生とは無縁である」と全く関心を示さない方達も多い様ですが、
視える・視えない、感じる・感じないは別にしても、私自身は"目に見えない精神や心"というものを持った摩訶不思議な存在である「人間」というものを表現するのには、逆にとても便利で分かり易い表現の一つではないかと思います。
( ・・) ~ ☆彡
ちなみに もし「憑依体質」という言葉がしっくり来ないという方達には、それを「ネガティブなものを自分のパワーと栄養にするエナジーバンパイア」であるとか、「傍目には分かりづらいが、実は(本人も気付いていない事が殆ど=自覚が無いから質が悪いとも言える)多重人格や人格分裂症」などと理解されても良いと思いますし、
又そういう体質の方達の中には、人から「天才」と呼ばれたり、或いは「奇人変人」とも呼ばれたりする方達もいらっしゃるという理解でも良いですし、
何もその様に派手で分かり易いケースでなくとも、(※これは以前にもコラムに書いた事がありますが)「人間の感情=霊」と捉えると、私達は他者と関わる中で、実は日常生活の中では頻繁にそういう"一種の憑依現象"をお互い経験していると捉えれば、より分かり易く身近に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。
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ちなみに私自身は、所謂「憑依体質の人間」というのを判断する独自の感覚(眼)というものを持てている故に、そういう相手(に憑依しているもの)を見破る事ができるので、結果的にそういう存在に自分が振り回される=そういう存在に自分が呑まれて心を乱される=自分を見失いコントロールされるという事がありません。
むしろそういう知識や感覚を持っているというのは、この摩訶不思議で魑魅魍魎な人間社会というものの中では、自分の心の健康をキープできるツール=お守りにも成っていると感じる事も多いのです。(どの様な方法でも、自分の中でつじつまが合って物事を正しく理解納得できれば、自分が楽になりますからね~)
ですので私自身は「そういう視点(憑依)で人間というものを観察させて頂いた時に観えて来る世界」というものを、自分がこの世を心身共に健全に生きて行く為の"一つのものの見方"として活用する事は、そんなに悪いものではないという事を自分の経験を通して感じています。(※大事なのは「物事を多方面から観る」という事です)
又「こういう捉え方は、今まで自分の中には全く無かった」と感じる方達が、自分自身を含めた"人間"というものを新たな角度から観てみる事で、自分や他者に対して「目から鱗」的な新たな発見があったり、
「なるほど!そういう見方をすれば人間という奇妙な動物に付いての納得が行く!」という様に、人間というものに対して理解が深まるという面もあるのではないかと思ってもおりますので、
「この様なユニークな視点でもって世の中を観察してみるのも、又一興でございましょう?」という事で(笑)、時折この様にコラムのテーマにさせて頂くのでございます♫
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所で今回のタイトルを「才能と憑依体質」とさせて頂いたのですが、それは今回語らせて頂く世界観の中では"才能"というものも「一つの憑依現象である」と捉えるからなのです。
そしてこれは私の眼ですが、憑依体質の方には二つのタイプがある様に思います。一つは「憑依されている時に本人にその自覚があるタイプ」、もう一つは「憑依された時の自分を全く覚えていないタイプ」の二つです。
よくチャネリングとかトランス状態とも表現される現象では「憑依されている時に本人の自覚がなく、その時の事を全く覚えていない」という事がありますが、これは完全に霊に自分を乗っ取らせてしまうという事から来ていて、或る意味それは怖い事でもあるのです。
だってそれは「自分を乗っ取った相手が、自分を完全に利用し支配している状態」とも言えるのですからね~。そこで「自分を乗っ取る相手は何者か?」という事の判断が非常に大事にもなって来る訳ですね。
そしてこれは私達がそれぞれ持つ"才能"というものに当てはめて見れば、「その才能を自分に授けているのは誰か?」という事にも通じて来るという訳なのです。(※勿論その授けられた才能を生かすか殺すか、又はどの様に生かすかはご本人の努力次第です。どんなに才能に恵まれていても、ご本人の努力無くして天才は生まれません故)
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では私達が日常の中で、自分や他者にリアルに感じるものである「感情」というものを"霊"と捉えた場合、私達の日常生活では一体どの様な景色が観えて来るでしょうか? 又生活の中で、どの様な変化が起きるでしょうか?というのを観て参りましょう♫
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これは私の個人的な経験から感じている事ですが、「感情=霊である」というものを斬新な一つの捉え方として自分の中に持てたら、日常生活の中で年中起きるスッタモンダの賢い解決法というものが観えて来るかもしれません。
そういう捉え方で自分や他人を観てみれば、或る人は「自分の激しい感情の起伏(=憑依霊)に年中自分が振り回されて、そういう堂々巡りの自分」を持て余していらっしゃる事への解決の糸口が見つかるかもしれませんし、
逆に或る人に取っては、そういう感情的な(憑依されている)相手に振り回されたり、或いはそういう相手に自覚なく洗脳されて自分のエネルギーを吸い取られていたりという「不健全な人間関係を築いている愚かな自分」に気付きが生まれるかもしれません。
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先にも申しましたが、所謂「霊感が強い」と言われる"憑依体質"や霊媒体質"などとと言われる方達には、主に二つのタイプがあります。それは憑依された時に、自分にその自覚が「有る人か、無い人か」という事です。
「自覚が有る方」というのは、自分に憑依して来る霊に気付いていても、「自分を乗っ取らせない人=覚醒した人」という事であり、それは「自分に中心を持った人=しっかりとした人格が形成されている人」であるという事です。
所謂「人格者」と言われる様な方達ですね♫
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これとは対照的に、憑依するものに完全に乗っ取られて「自分が無い状態になる」という憑依体質の方達がいらっしゃいます。そしてこの世の中は断然こちらのタイプの方の方が圧倒的に多いのです。
この様な現象は私達が日常生活の中で自覚が無いだけで、実は頻繁に普通に経験している現象でもあるので、つまりこれを読まれている方達の中にも、ご自分で知らず知らずに才能を発揮されたり、何かに憑依されて感情的になってしまわれている方も沢山いらっしゃるという事でもありますが、
いずれにしても、こういう現象の持つ怖い所は、本人に全く「その自覚が無い」というケースが多いという事なのです。
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問題は「自分が憑依されているという事に無自覚」であるが故に、その自分を憑依するものが「どういう質のものか?」という事を、当のご本人が全く感じていないという所にあります。
それを私達が良く日常生活で見かける例として挙げると…
例えばお酒を飲んだ時に「お酒に呑まれて記憶を失う(※その間の自分の言動を全く覚えていない)」という方が時々いらっしゃいますが、それが「憑依霊に完全に乗っ取られた状態」という事だとお伝えすればお分かり頂けますでしょうか?
これは分かり易い憑依現象の一例ですが、でも実はお酒が入らなくても、例えば巷で良くお見かけする
★いつも精神的に情緒不安定な方達
★自分の言う事がその場その場で気まぐれにコロコロ変わる方達
★相手により、自分の都合で顔を使い分ける姑息で裏表の激しい人達
というのも、実は「憑依体質=自覚無く霊に自分を乗っ取らせている」という現象から来ていると言う事ができるのです。
逆から言えば「感情的になるのは、自分で気付かず霊に自分を乗っ取らせている状態」という捉え方ですね。
これとは対照的に、いつも「今」に気付いている人は、常に"今"と"ここ"に意識が在るので、憑依されても自覚が有る=乗っ取られないという訳ですね。そしてそういう方は、所謂"瞑想が進んだ人"とも言われ、自分自身の内観がしっかりできている人=人格者と言われる様な方達でもあります。
ですので「瞑想が進んだ人=内観が進んだ人間=常に"今"に意識がある人」は、その都度自分の言動にはキチンと自分で責任感を持つという軸を持った大人=人格者という事ができます。
反対に霊に自分を乗っ取らせてしまう様な、"今"に気付きのない人達は、瞑想の進んでいない人=内観ができていない人という事で、逆から言えば「自分の言動に鈍感(※無自覚含む)で無責任な人」であるという事です。
こういうタイプの人は、世間にはゴロゴロいらっしゃるでしょう? でもだから世の中は狂騒曲の様に騒がしいのではないでしょうか?(笑)
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「自分の中が静寂でないと、この世を正しく観察する事はできない」と言われますが、こういう方達と、そういうカラクリに気付いていない無知な人間が多い故に、世の中はこんなに騒がしいのだと私は感じており、
それが私の眼から観える「愚かな堂々巡りをいつまでも繰り返す、混沌とした人間模様」の風景でもあるのです。
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そして今回はもう一つ私が皆様にお伝えしたい事があります。
それは「一人の人間が持つ人格(霊)は一つではない」という事です。一人の人間の中には、実は自分でも気付いていない沢山の人格(憑依する霊)がいるという事です。
私達はつい、他者の一つの面だけを見て「この人はこういう人」だと判断してしまいがちなのですが、それには大きな落とし穴があるぞ~~~ッという事です。
何故なら人に憑依する霊というのは、その時、その時のその人の精神状態により、常に瞬時に入れ替わるものだからなのです。
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これを分かり易い例で説明させて頂くと…
例えば、或る人が子供の様に純粋な一面を持った大人であると致しましょう。そういうチャーミングなギャップというのは多くの方に愛される要素にもなるのですが、その面ばかりをクローズアップしてその人を見てしまうと、その人の真実の姿(全体)が見えて来ないという事にもなるのです。
どんな人でも人間である以上は、内面に(善悪含めた)実に様々な人格を持っていて、それぞれの人格全てがその方の真実であるという眼を持たないと、過剰に相手を美化してしまったり、逆に相手の良い所を見えなくさせてしまうなどというアンバランスな事が起こります。
これがお互いの誤解の元になり、そうして私達人間の間には様々な人間狂騒曲が繰り広げられて行る訳なのです。(笑)
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人間の中には、そういう事(そういう他者に取って魅力的な自分を前面に押し出しアピールする行為)を、自分で分かっていて、それを利用して人を誑(たぶら)かす質の悪い人種もおりますね?
そういう方は詐欺師とか、人によっては魔術師とかとも言われたりする様です。(笑)
又逆に、良い意味でこういう才能に長けていらっしゃる方は、科学者を始めとする様々な分野の研究者の方達や、鋭利な感覚=勘が必要とされる職人気質の方達、又は芸術・芸能やスポーツに関わる方達にも多いかもしれません。
様々な部門の研究者の方達が何かを発見したり、熟練した職人の方達が物を作る時に与えられるインスピレーションなどの「閃き」は、実は高度な霊感と言われますし、又芸能やスポーツに携わる方達が良く何かを演じる時に「役が乗り移る」とか、「何かが降りて来る」とか、「自分は持っている」と表現されますでしょ?
「才能=霊」と捉えれば、こちらは良い意味での憑依体質であるという事が言える訳ですが、でもだからと言ってそれはあくまでもその方が持つ一つの才覚であって全体ではなく、故に「才能を持っているから人格者である」という事ではないという事も言えるのです。
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この様なケースでも、演じる本人の心根が変わればそういう才能を与える霊も又常に入れ替わるという事でもある様ですし、本人が才能に胡坐をかいて傲慢になれば、その人の成長の為に霊(才能)が離れて行くという現象も起きる様ですし、
逆にその方がその道での使命(役目)や学びを終えた時、更に人生の上級編として、今度は全く違うこれからの自分に必要な才能を応援してくれる指導霊に入れ替わるという現象もある様です。
…と、以上の様なご説明で私が今回皆様にお伝えしたい事が伝わりましたでしょうか?
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ちなみに私自身は頭が非常に柔軟なので、この様なものの観方も面白く取り入れられる性格ですが、でも私の中ではこの様なものの見方に対しては(※これは以前にもコラムでお伝えして来た様に)更に理解が進んでおりまして、
どの様なものであっても、私達が個々に持つ世界ではそれぞれ自分自身が支配者であり、故に「自分の世界で自分が観るものは、全て自分自身である」と言う眼を持っておりますので、そういう視野で「憑依霊」というものを見た時には、又違った風景が観えて参りますという事もお伝えしておきます。
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結局何を信じても信じなくても、人間が自力で幸せになる為には「無知=無自覚=自分に無責任=自分のした事は己に返るという宇宙の真理を知らない」ではいけないという事であり、それが一番私が皆様にお伝えしたい事なのです。
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鳥は昔から「神様のお使い=メッセンジャー」と 言われる存在ですね?
多くの方は「鳥は空を飛ぶもの」と当たり前に思っていらっしゃるかもしれませんが、私は彼らが何故空を飛べるのか?というのが、未だにとても不思議だと感じる人間なのです。
そしてそれは「彼らの持つ波動が軽やか(別次元)だからなのではないか?だから"神様のお使い"と言われるのではないか?」と勝手に楽しく想像したりするのでデス♫(笑)
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このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年