猿山に住む人間 - コラム - 専門家プロファイル

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閲覧数順 2024年05月06日更新

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猿山に住む人間

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徒然日記

盲目の人間が住んでいるのは、例えれば動物園の猿山のようなもので…。
その猿山の中を自由だと思い、あっちの猿より高いところにいると比べて競争し、隣の猿より高いところまで登れた…と自己満足しているような世界なのですよね。


猿山の世界しか知らず、その世界が全てだと思っていて、それを自由と呼べるかと言ったら言えませんよね?
まずは今の自分自身が、環境に動かされている人形だと気付くところからが始まりなのです。


そして、猿山の周りにある檻や壁を誰が作っているかと言うと…。
他でもない自分自身なわけです。
檻の外の世界を見たことが無い人に、広大で美しい世界を語っても伝わることはありません。


「外に出てみたら、それは素晴らしい世界だったよ。」
と言っても、
「そんな世界があるわけがない!騙されるものか!」
と思うのが凡夫というものです。


その外に出る道筋を教えてくれたのがブッダであり、今も教えが残されているわけですが…。
あまりにも長く動物園の中で暮らしていたので、その中の世界が常識になり、狭い世界で争いながらも、餌をもらって生きていけることが幸せだと錯覚してしまうものなのですよね。


「外の世界なんてあるわけがないし、お前は飼育員に洗脳されているんだ!あのドアをくぐると殺されてしまうに違いない!」
と、自分自身が洗脳されていることにも気付かず、真実を真実だと見抜くことも出来ないわけです。


そして、その猿山の中で、
「猿の神様を信じていたら死んだ後に外の世界に出られるんだよ。外の世界は、それは素晴らしい世界で、バナナの木が沢山ある楽園なんだ。」
などと調子の良いことを言っている猿のことを盲目に信じているわけです。


外の世界があるということを信じる必要はありませんよね?
あのドアを開けて通路を通って、鍵を使って、少し重い扉を開けたら、外の世界に出ることが出来る…と知れば良いだけです。


まず外に出るには目を開かねばなりません。
そして、外に出るための鍵を見つけて、自ら扉を開けられる力を付ける必要があります。
それが仏教で言うところの智慧であり、実践ということでもあります。


仏教では誰も「信じろ!」なんてことは言わないわけです。
「ただ学んで知りなさい!」と言うだけです。


ただし、外への行き方を知っただけでは何もならず、自らの足で歩んで行かなければなりません。
「智慧の眼、行の足」と言いますが、知識だけ得ても何も変わらないわけです。


外に出なければ、猿山の全貌を知ることは出来ません。
その時に初めて見えるものがあり、経験出来ることがあるのです。


一般的に思われている「自由」というものは、猿山の世界の中だけで通用する「自由」なのですよね。
実は「無自由」なのだと気付くところに本当の自由があるのです。


本当の自由を得た時に、誰が本当のことを言っているのかも分かります。
そして、本当に美しい世界があるということにも気付きます。
死後の世界ではなく、今生のうちに体感することが出来る世界です。


それに気付くのに大切なことは「信じる」ということだけではいけません。
「真理を信じる」というところなのです。


今まで植え付けられた、価値観や常識という洗脳から抜け出すことは容易ではありません。
現実の縄よりも、妄想の縄の方から抜けることの方が難しいのです。


「猿山の外にある世界」
見てみたいとは思いませんか?(^_-)-☆

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