恋愛セラピストのあづまです。
「自分の無意識にも責任を持つ、という高い意識を。2」の続きです。
無意識の中に閉じ込めた(抑圧した)怒りは、周りの人からいじめられたり嫌がらせを受ける、という現象になったり、ある特定の人に対して激しい嫌悪感を感じたり、本人が女性であれば、男性からなぜか避けられたり、といった形で、悪影響が広がるんです。
あるいは、自分に自信がない(無価値感)を強く持っているが、人一倍頑張ることでそれを埋め合わせようとしている(=その感情にフタをしようとしている)人が職場のマネージャーになって、部下たちを指導することになると、
いつのまにか、その人の持っている「頑張らない人には存在価値はない」という無価値感(これは感情と信念が複合したものですが)がその部署全体に広がっていき、メンタルな耐性が低い人から脱落して、病気になったり職場を辞めたりします。
現在の社会のルールから考えると、怒りを封印した人がもし、職場で嫌がらせを受けていたら、嫌がらせをした人の行動のみが注目されます。いじめられた人にも原因があるなんて言おうものなら、お前は悪魔か、ぐらいの扱いを受けるでしょう。
同じように、自分の無価値感を頑張ることでフタしてきた上司の下で病気になったり、会社を辞めたくなった部下が出た場合、会社としての対応は大抵、 その部下の指導であったり、理解のある会社でも、その部下にカウンセリングを受けさせる、などに留まり、実績を上げて出世した(が、その根っこには無価値 感の反動がある)上司のメンタルケアをする会社は、ほとんどないでしょう。
自分の無意識に、自ら責任を持つ、ということ。
さて、行動は誰の目から見ても明確ですから、自分の行動に対して周りからの強制力で「責任を取らされる」つまり、犯罪を犯したら逮捕【されて】刑罰を受け【させられる】、という形も、可能なんですね。
しかし、無意識の中のことは、他者が強制的に責任を取らせることは、できません。
「あなたは怒りを抱えているから、特殊教育課程を受けなさい」
なんて、どこかの全体主義的な国の洗脳プログラムのようです。
だから、自分の無意識に責任を持つ、ということは、意識の高い人からまず、自分で実践する、ということしかないと思うんですね。
・いつも俺の怒りのスイッチを入れるアイツ
→じゃなくて
→自分の中に怒りの地雷がある。それを見つめよう。
・Aさんは、私を軽く扱って、私のことを傷つける。
→じゃなくて
→自分の中に、軽く扱われると傷つくというパターンがある。それを見つめよう。
自分が、客観的に見ても被害者になりやすい場合は、若干解釈が難しくて、とらえ方を変えるだけでなくて、自己認識自体を変えて、結果的に自分の主張をするときにおどおどせず、堂々とできる自分になる、というような行動面まで変わっていく必要があります。
たとえば、
・私は職場でいつもいじめられる
→これを
→私の中に、いじめられやすい要素がある、それを見つめよう。
→とやると、ますます自己否定になりやすいので、
→私は、きちんと自己主張しているだろうか?
→私は、自分の存在価値を、自分で肯定しているだろうか?
(自分に自信があるだろうか)
・私はいつもモラハラっぽい彼と付き合ってしまう
→これを
→私の中に、モラハラされる要素がある、それを見つめよう。
→とやると、ますます自己否定になりやすいので、
→私は、自分の望みを、恋愛が始まる前から表現しているだろうか?
→私は、自分の存在価値を、自分で肯定しているだろうか?
(自分に自信があるだろうか)
というように。
「自分の無意識にも責任を持つ、という高い意識を。4」へ続きます。
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