20周年 独立記念日 - 経営コンサルティング全般 - 専門家プロファイル

新納 昭秀
新納ビジネスマスターズ有限会社 代表取締役
東京都
経営コンサルタント

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対象:経営コンサルティング

寺崎 芳紀
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(経営コンサルタント)
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閲覧数順 2024年05月09日更新

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まずは 生き残れ。そして、

未来をツクリナヲセ!


昨夜も、独立・起業を

目指す方々に向け、

吠えさせていただきました。


そして 振り返れば、

独立・起業20年の節目を

迎えました。


▼1987年夏、24才。


ヘッドハンティング。移籍。上司が横領を犯し、所属会社が崩壊の危機。自ら手を挙げ、


私:この会社、

私に任せてください!」


誰かが背中を押してくれたかのように、その瞬間は時間がスローに流れ、人生は大きなターニングポイントを迎える。


当時、年商9000万円程度でしかない零細マンパワー企業を崩壊どころか、売上を2倍、3倍にしてやろう!自らの心に火を点けての立候補。考えた改善策をすべて実施すると、面白いように当たりまくり急成長へ。


しかし、経営陣はこの売上を担保に新たに巨大な借り入れを起こし、本業とは無関係の海外の投資ビジネスにのめり込み大失敗。月次600万円の返済が残る。以後、資金繰りも含め何度となく起きる修羅場を潜り抜けながら、10年後には年商約10億円に到達。借り入れも完済。


親族A:新納は、なぜ 

あんなに狂ったように働くのか?


親族B:あれは 会社を乗っ取ろうと

しているに違いない。


それまでの10年間を振り返るタイミングで、経営者親族の立ち話を聞いてしまい、情けない気持ちに。と同時に、猛烈に湧き上がる思いが。


会社内部の評価に一喜一憂していたならば、自身の成長は終わる。外部=お客さんからの評価で、生きなければ未来は無い!


決断の時を迎える。


運良く、年間経費2000万削減の指示が出る。これだ!とひらめき、改善案を提出。内容は、自分自身のリストラによるコスト削減案。呆気にとられた経営陣を尻目に、取締役を退任。長らくお世話になった業界を去ることに。


各方面への挨拶を行った際、同業協会会長(某社社長)から呼び出される。その社長室の金庫にあった生現金9000万円のキャッシュ見せられながら、


会長:君にこれを全部任せよう。

あと、これも任せたい。


更に見せられた通帳の残高は、1億円。よって合計1億9000万円となる。返答を避け、その話しを同じ協会の副会長にすると、


副会長:オレも乗った!

6000万円あるから、頼む!

 

起業プランも何も無い、34歳の道路工事現場からのタタキアゲの役員退職者の若造に合計2億5000万の投資が集まることに。


退職した会社の借財の影響もあり、自らも債務整理の状況にあったため、普通ならば手を出したくなるような大金。今ほどの知識があれば、それも掴みうまく運用できたのかもしれない。しかしながら、首を縦には振ることはなく、後日 お二方には丁重にお断りを。


なぜならば、誰かにコントロールされるのが嫌で独立を決めたのだから。そんな大きな金額で、生き方をコントロールされることは、まっぴらごめんである。


自分らしく自由に生きるためのチャレンジ。社内の評価を捨て、お客様の評価で生きるとしての決断。


▼1999年11月15日、34才。


すべてを手放し、どん底のどん底のマイナスから立ち上がり、資本金7円で独立・起業。


自分の債務整理を背負いながらもラッキー7を願い、7円で通帳を作る。そして、JCの先輩にもらったFAXが1台。それが、起業時の資本金であった。


ラッキー7、七福神、七人の侍だから、7円からのスタートは縁起が良い!に決まっている。


そう、自分に言い聞かせながらのスタート。 しかし、新たなビジネスプランにまったく反応はなく、徐々に追い込まれる。


生活費も困窮し、一度は卒業した道路工事の世界へ。汚物まみれの下水道工事で、作業員として走り回っての収入確保。この日当に消費税をつけたバイト代が最初の売上となった。しかし、公共料金も払えず、電気もガスも止められ、真冬の水シャワーを浴びる日々。笑ってこなすJCの大役。笑われる回りの声。死にたくなるような日々。


もう死のう!


そう思って、窓を開けて眺めた景色に映ったのは、国分寺マルイの赤いネオン。ここから飛び降りたならば…。


この真っ暗な部屋でもあと何時間かすれば、必ず朝日が差し込み明るくなる。すると、もう1回営業にも行ける。金は無いが歩いていけば見込み客の会社には到着する。すると可能性が生まれる。そう自分に言い聞かせ、冷たい布団を被り寝たことも。


自分がそれまでやってきたこと、業績を10倍に上げたノウハウをパッケージにして提供すれば、どんな業種業態だって成長できるはずだ!そう信じての提案も、反応はまったくなかった。


苦しみに苦しみ抜く。


一転したのは、この提案をやめてから。こちらの一方的な提案をどれだけ行っても、受け身になる。必要ー不必要、欲しいー欲しくない、といった二択だ。そこで、やり方を変える。


私:困っていることは何ですか?

新納に何をやって欲しいですか?


つまり、マーケットインに軸足を切り替えた。すると、大きく反応が変わり、予約は埋まった。


そんな中、あるクライアントより、


クライアント:その仕事って、経営コンサルタントじゃないですか?


と、ご指摘を受けることに。つまり、経営コンサルタントがどんな仕事なのか?まったく知らないままスタートを切っていた。いや、今でも正確には知らないのかもしれない。前職で行った実戦経験豊富なNo.2という役割をサービスとしての昇華。これが後々の ビジネスの軍師®︎ と呼ばれることに繋がったのかもしれない。


▼2018年11月15日、53歳。


たかが20年、されど20年。

いやいや、なんとか20年。


毎度のことだが、スタートアップの頃を思い出される独立記念日を迎えました。


自分だけでなく、寄り添ったクライアントとともに数え切れないほどの修羅場を体験して来ました。しかし、まだまだ掲げた理想の領域には届いてはいません。


とはいえ、これまでなんとか生き残ってこれたのも、ご契約をいただいた皆様をはじめ、スタッフ・関係者・ならびに応援をいただいていた方々と天と運のお陰です。


つきましては、万感の思いをこめて、今年も感謝の念を記録します。


また、社会の行く末を予想するならば、これまでより これからの方が益々、厳しい未来になると思います。そんな時でも、ご期待に応えられるよう引き続き、人を基軸としたこの道を極めていきたいと思います。


生き残れ!そして、

未来をツクリナヲセ!

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