石田光成は何故負けたか? - ITコンサルティング全般 - 専門家プロファイル

小坂 淳
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閲覧数順 2024年04月26日更新

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石田光成は何故負けたか?

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徒然

石田光成は何故負けたか?



サッカー日本代表。ホームでウズベキスタンに引き分けました。
今後アウェイのカタール戦、ホーム(日産スタジアムという噂)でオーストラリア戦と続きますが、
痛い引き分けです。

実際に試合を見ていないのですが、
「香川に変えて稲本?」「FWを入れ替えるだけ?」
「中村憲は使わないの?」などいくつか選手起用に疑問が残りました。。。。。



さて、昨今景気のせいか倒産する企業が増えていますし、
合従連衡の動きも多いです。

この戦国の世界はおもしろくもあり大変でもあります。

ところで、歴史は良い学習材料といいます。
突然ですが、約400年前に行われた関が原の戦い。
石田光成率いる西軍が徳川家康率いる東軍に敗れた天下分け目の戦いです。

江戸時代に来日したある宣教師(名前忘れました)が関が原の陣形を見て
こう言ったそうです。
「西軍が勝ったんですよね」

東軍が買ったと聞いてびっくりしたそうです。

「陣形からすると地の利は西軍が圧倒的にいい。」

では何故負けたんでしょう。

地の利は勝っていました。
豊臣を守るという大義名分もあり天の時でも負けていません。
が、人の和を欠いていました。

石田側についた人は領地の場所や義理などからやむ終えなく味方についた大名が多かったようです。
なので、実際に戦が始まっても、宇喜多や大谷など仲のいい
大名しか参加せず、島津は動かず、
毛利軍団も中で意見が割れて動かず。
それでも互角の戦いでしたが、小早川の裏切りにより負けました。

よく戦争は事前準備が全てといいますが、徳川側は小早川に
裏切りを持ちかけ、毛利陣営の吉川に動かないよう釘を指すなど
準備は入念でした。

そして主人公たちの明暗はその後分かれます。
動かなかった毛利は領地を大幅に没収されたのに対して、
島津はそのまま残ります。
小早川は宇喜多の跡に国替えになりますが、
うまく収められず取り潰し。
勝った加藤・福島もその後取り潰しになります。

人の和以外には「先をどこまで読むか」というところも勝敗を分けました。
島津や上杉・伊達のように戦国時代からの生き残りはその経験が生きたのですが、
若い大名はうまくいかなかったようです。

天の時・地の利・人の和を確保し、先を読む。
今の時代にも生きますね。

成長するには良書を読むこととよく言いますが、
歴史から学ぶことはまだまだあります。

ウェブの世界も同様ですが、どう先人の教訓を活かすか。