青森県:三内丸山遺跡の話  2 - 生涯学習 - 専門家プロファイル

中舎 重之
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閲覧数順 2016年12月07日更新

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青森県:三内丸山遺跡の話  2

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     縄文人はグルメだった話。
 

縄文人の食の生活は、春夏秋冬の旬の海の恵み、山の恵みをふんだんに取り入れた

とても豊かなもので有ることは良く知られています。


  春から初夏にかけては、タラの芽、フキノトウ、タケノコ、ワラビ、ノビル等の

山菜を採り、不足がちなビタミンを補っています。

  夏には舟で沖合まで漕ぎ出して、マグロ、カツオ、タイ、ヒラメ、アジ、イワシ 等と捕っています。

1mに達するマダイの骨も出土しています。どの様に調理した かが気になります。

  実りの秋は、キノコ、ヤマブドウ、キイチゴ、サルナシ、ヤマグワ、ニワトコの

果実類、クリやクルミの堅果類。 川ではサケが旬です。

 ニワトコは食用にはなりませんが、ヤマグワ、サルナシ、キイチゴ、ヤマブドウ等

の野生の木の実と共に酒、または薬にしたと思われます。

  冬は狩猟の季節です。男達はシカ、イノシシの大型動物や ウサギ、ムササビ、

イタチの小動物、カモやガンの鳥類と獲物は豊富です。

他の遺跡では、シカやイノシシのような大型獣の骨が多数出土していますが、

三内丸山では大型獣の骨は少なく、小動物の骨が多いのが特徴です。


  栽培品としてはヒョウタン、マメ、エゴマ、ゴボウ等の種子が検出されています。 

集落周辺におけるクリの花粉が不自然に多い事から、クリの栽培が行われていたと 

推測されています。クリの栽培種は病気に弱く、病気の発生がクリの林を全滅させます。

自然林のクリは病気には滅法強く、病気の蔓延は起こらない様です。

 三内丸山の人々は、栽培と自然採取と二元的方法を採用していた様です。

とてつもなく、賢いですね。


  三内丸山には貝塚らしき物がまったくありません。

これも此の遺跡の特徴です。

貝塚こそは考古学にとって宝の山です。当時の生活を俯瞰する重要な手掛かりです。


 東京都北区の中里貝塚(BC4000年)は、カキの養殖杭で知られています。

養殖杭の発見は、貝塚でのカキの殻があまりにも多い事でした。

カキを養殖して、干して製品にして冬場の保存食とし、さらに内陸との交易品にしていたようです。


  鹿児島県の上野原遺跡(BC7500年)では、燻製を作るための連結土坑が

16基も発見され、国内での最古・最大級の定住したムラと判明しています。


   山形県の押出遺跡 (BC3500年)では、クッキーも出土しています。

材料はトチやシイ、ドングリ等の木の実を磨り潰して、鳥の卵も入れた高級な物で 

動物の脂を混ぜて生地とし焼いています。

   縄文人は、吾々現代人のグルメをも上回る食通だと思います。


      石器の話です。

  石器には大きく分けて、石を打ち砕いて作った打製石器と、磨いて形を造った

磨製石器との2種類が有ります。

旧石器人に好まれたのが黒耀石です。他の石では得られない鋭利さが人気を呼びました。

  黒耀石の成分が、産出する火山により違いが出来ます。

従って黒耀石は全て産出の場所が特定出来ます。

2~1万年前には北海道の白滝産の黒耀石の原石が遠く  

サハリン(樺太)に運ばれた様で多量の黒耀石が出土しています。

 ヤジリの原料として、さらにサハリンからアムール川をさかのぼりバイカル湖まで運ばれています。

此処で再加熱され加工されたのが1万3900年前と測定されています。

日本列島から大陸へと素材と技術が流れる交易があった事は驚きです。


 従来、文化は大陸から日本列島への一方通行を考えられていましたので特筆です。

2~1万年前は氷河期で、海面も現在より140~150mも低い時代でした。

宗谷海峡の最水深部が60m、津軽海峡の最水深部が140mですから大陸とは

陸つづきでした。

  ヤジリは大平山元Ⅰ遺跡で出土しているのが日本最古ですので、

大型の槍での狩猟が早々にすたれ、此の時代には小型の弓矢の使用が常態化して居た様です。

弓矢の魅力は、スピードと命中率の高さにより狩猟の効率が格段に上った事です。


    黒耀石の長野県和田峠での話です。

此処では、表面の露出の採取ではなく、地中に埋もれている黒耀石を掘り出す鉱山

の跡が有ります。 

土器片の出土から縄文草創期後半(BC8000年)から後期 中葉(BC1500)の6500年の

長期にわたっての採掘です。

 錬度が高い優れた技術集団が、採掘、加工、交易と分業して永続的に営まれた 

「黒耀石のコンビナート」であった様です。

ちなみに此処には完成した製品が全く存在して居らず、すべてが運び出されたと推定されます。


    黒耀石以外の石器の話です。

調理用の石器では、ドングリ等の木の実を磨り潰すのに適した石皿、スリコギ状の摺り石など、

新しい製品が登場しています。

   磨製石器は、石斧などが比較的早くから作られています。これは木を切り倒すのに好都合でした。

此の様に縄文人は鋭さに優れた打製石器とを使い分けて居ます。

縄文後期になると、道具を作るための道具さえ造りました。

農耕道具の製造用とか、木製容器の製造用など用途に合わせた物も登場しています。

用途が不明な物も多数有ります。

宗教的儀式に用いた物、墓に埋葬した物、竪穴住居の飾り物と推定できる物まで多々有ります。

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