青森県:三内丸山遺跡の話  3 - 生涯学習 - 専門家プロファイル

中舎 重之
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閲覧数順 2016年12月02日更新

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青森県:三内丸山遺跡の話  3

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      縄文人はお洒落だった話。
 

  縄文時代の土偶を見ると、髪型はアップにし、腰にはスカートのようなミノを付けているもの。

 貫頭衣もあります。貫頭衣は布の中央に穴を開けて、頭を通した物を原型として、

 前身ごろを割り、脇下を縫った物などへと発展しています。

 

   三内丸山では、縫い針も出土している事から布を作り、裁縫をしていたことは明らかです。

 実際、衣服に補強とお洒落をかねたアップリケをつけたもの、

 襟元に装飾のための組み紐を付けたものもあります。

 逆に鹿皮のワイルドな衣服も発見されています。

 

 三内丸山での出土品で特筆すべきは、イグサのような植物の繊維で編み込んだ

  「縄文ポシェット」があります。高さ15cm、横13cmで中にはクルミが入っていました。

 口の部分は巾着のように絞れるデザインになっています。
 

 現代の女性でも好みそうな形です。

  

  群馬県北群馬の茅野遺跡では、600点にものぼるイヤリングやネックレスが出土しています。

 素材は土器や貴石ですが、土器で作られたイヤリングは装飾性の富むデザインの作品です。 

 男性である当方も魅入られる美しさです。
 

 三内丸山では、ツル性の植物で編んだブレスレットもお洒落です。 

 

 BC3000年の福井県鳥浜遺跡からは、鮮やかな朱の漆塗りの櫛が出ました。 

 残念ながら、出土直後に空気されされて、美しい朱が黒く変色してしまいました。 

 漆塗りは中国からの伝来と思われていましたが、日本の山漆から採集した樹液を

 精製して顔料を加えた漆との事です。

 塗りも何度も重ねる塗り方で、かなり高度な技術だそうです。

 日本の固有の純国産のものとの証明がされています。
  


  青森県の亀ケ岡遺跡(BC1000年)でも、漆塗りのヘアアクセサリー、

 ふじつるで編んだ物に漆塗りで彩色したものが出ています。  

 これらの物は、結い上げた髪がくずれないように留める実用性もありますが、  

 やはり女性を美しく飾るものとしての装飾性が、すこぶる高いと思われます。

  

  三内丸山から出土した織物片には、平織りと編布(あんぎん)2種類があります。 

 平織りと云うのは、イラクサ科ないしはアサ科の植物の細く軟らかい繊維を使い 

 縦糸を捩らずに横糸を絡める方法の編み方だそうです。 

 編布は捩った縦糸を張り、それに横糸を絡めて編んでいく方法の布との事です。 

 いずれにしても、柔らかい繊維なので道具を使って編んだ様です。

 これらの出土品は、福井県鳥浜遺跡、山形県押出遺跡と共に最古の物と位置ずけられています。


  

    三内丸山の交易の話です。 

 三内丸山が他の遺跡と大いに違うのは、黒耀石の産地の多様性です。 

 北海道白滝、長野県和田峠、山形県月山など産出地が16カ所にのぼります。 

 新潟県佐渡島のも出土しています。

 

 ヒスイは新潟県糸魚川からのもので、完成品の大珠、半製品、原石も共に出ています。

 ちなみに、産地と三内丸山とは直線距離にして600kmはあります。 

 此の中間地である、山形県や秋田県からはヒスイの大珠などが出土していない 

 事を見れば、当時の交通路は陸路ではなく、海上の舟便である事が想像できます。

 

 アスファルトは秋田県槻木産で、ヤジリの根元の接着剤であり、補強剤としても

 使用されています。天然のアスファルトは伸度ど粘着力が優れているとの事です。


  コハクは岩手県久慈産との事です。

 此の様に産地の多様さと品種の多さは、広い範囲で活発に交易が行われていた事

 の証明になります。三内丸山は、北は北海道、南は関東の中心に位置しています。


    三内丸山が大規模集落ではなく、古代の首都機能を有した都市としてイメージ 

 出来ますでしょうか。 

 繁栄の時代が、BC3500年の縄文海進と共にスタートして、BC2000年 

 の縄文海退と同時に終焉するのも劇的です。 此の期間は1500年です。

 

   此の時代の気象状況を記します。縄文海進最盛期の冬期の最低海水温度は、

 オホーツク海で5°C、津軽海峡沿岸が10°C、仙台湾沿岸が15°C、

 南関東が17~18°C であったと推定されています。

  現在の海水温との差を較べます。オホーツク海沿岸で5°C以上、東北地方は

 5°前後、南関東では、2~3°Cは高いようです。東北全体が温暖の地でした。


   当方の関心は、気象と期をいつにした三内丸山の存在の時代です。

 世界の四大文明と言われる、エジプト文明はナイル流域にBC2850~600年 

の2250年間の永き繁栄を誇ります。

メソポタミア文明はチグリス・ユーフラテ ス流域でBC3500~1500年の2000年間、 

インダス文明はインダス川 流域にBC2500~1500年の1000年間、

黄河文明は黄河流域にBC2500~1000年の1500年間の繁栄が認められます。


  三内丸山は、メソポタミア文明と同じ時期にスタートしています。

 ただし、繁栄の期間は1500年間と若干短か目です。

 それぞれの文明が大河の流域を拠り所にしていますが、三内丸山は大河ではなく、

 日本海の対馬海流による恩恵を全てにおいて受け、地球の営みに合わせての文明

 であったと感じています。

 当方は三内丸山は、世界の四大文明の次に位置する文明であると考えています。
 

                                       2012年5月  旅行
                                       2014年9月  記す  中舎重之

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