対象:マッサージ・手技療法
我慢する必要はありません。
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ご質問ありがとうございます。
他の先生方のご回答と重複しないよう少し別の角度からご回答させて頂きます。
痛みと言う感覚は、主観的感覚です。そして心理的要素が大きく関わります。
私たちのカラダは常に中立であり、本来、カラダの仕組みに任せておけば、健康を維持できるような適応力を持っています。
しかし、ココロ(無意識も含め)の葛藤があり、それを隠そうとして、私たちは否認、抑圧、投影などのありとあらゆる防衛手段を使います。すると自分が直面している感情の課題がわからなくなってしまいます。
自分をうまく欺いているようですが、自分を欺き続けていると、葛藤はカラダに刻まれ、何が課題なのかを症状や痛みを通して表すようになります。
この考え方は、ある心理学で考えられている理論です。私の臨床現場でも多く実感するところがあります。
痛みは心理的現象の部分が大きいですから、腰痛の見方を変えると、ストレスがその裏に多く隠れていることが多いです。''「腰痛は怒りである」''などの本が出ているように、腰痛と心理的ストレスの関連は、腰痛の最新研究でも支持されつつあります。
今、カラダが発している声は、心の中を映し出す鏡と考えることができます。その声に耳を傾けることも、無視することも本人次第です。しかし、痛みと言う声を出しているのは心の中の本人ですので、いつかまた違った形・手法をとって、心の中のもう一人の自分は、何かを主張すると思います。聞かないでいると、聞かざる負えない症状となって、もう一人の自分は主張をするでしょう。そうなる前に、もう一人の自分と対話をした方が、より快適で、心身ともに健康的な生活ができるのではないでしょうか。
頑張ることも時には必要ですが、頑張らないで心の中の自分を受け入れてあげることも時には必要になります。
ご参考になれば幸いです。
山中英司
補足
評価いただき、ありがとうございます。
頑張らないように頑張るって、確かに分かりづらいことです。ですので、カラダが発している声を指標にされると、適度な頑張りが見えてくるのではないかと思います。
カラダの声に耳を傾け、相談しつつ頑張るのがバランスがいいですよ。
また何かありましたら、いつでもご相談ください。
山中英司
評価・お礼
あまの☆ さん
なんとなく判るような 判らないような
頑張りすぎないように頑張るっていうのも妙ですよね?難しいです
回答専門家
- 山中 英司
- ( カイロプラクター )
- 陽開カイロプラクティック
「体は心の鏡」 体の解放は、心の解放からはじまります
臨床を通して痛感することは、体は心の鏡のような存在だということ。様々な症状の裏には、もう一人の自分からのメッセージが隠されています。カラダを診るプロフェッショナルとして、クライアントの心とも真剣に向き合うことを信条にしています。
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