- 大園 エリカ
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
- 東京都
- クラシックバレエ教師・振付家
先日私は「★人を教える事と指導する事の違い (見極める能力・引き出す能力)考察」という記事を書かせて頂いたのですが、
実はその後、それを読んで下さったブログ主のうめままさんから、
「(今回の記事の内容には)驚きました。実は、私がここ数か月考えていた、指導者と指導される者の関係について、ハッキリと書かれていたのですから。。。思わず、「え?私、ブログに何を書いたっけ?」と、読み直してしまいました(笑)」という個人的なメッセージを、アメブロの方に頂いておりました。
(^^✿
私的には彼女の記事を読んで、自分の中から自然に湧き出た事を書いただけなのですが、それが今の彼女の心境にあまりにシンクロしていたらしく(※霊的に成長すると、発信する側にも受け取る側にも、この様な偶発的なシンクロが頻繁に起きるようになると言われています)、
「(エリカさん、私のプライベートを)見てたんですか???∑ヾ( ̄0 ̄;ノ」ってくらいビンゴで書いておられたので。。。」と書かれておられたので、彼女はかなりビックリされたのだと思います。
そしてそういう内容含め、今度は彼女が私の書いた記事をご自分の記事にして下さっていて、そこで又今回も私がそこに書かれている内容に心打たれたので、こうして私もうめままさんが書かれた記事をこちらでも又ご紹介致させて頂こうと思いました♫
☆_(_☆_)_☆
以下は、うめままさんが今回新たにシリーズで書かれ中のブログ記事を、取り敢えず今の段階で私が一つにまとめさせて頂いたものの転載になります。(※ちなみにこちらでは、分かり易い様に「エリカ」という私の本名に修正して書かせて頂きました)
(*^^*)~♡
リブログの二乗は。。。「教える事と指導する事の違い (見極める能力・引き出す能力)」1・2
アストロファーム ~そらをみあげて~ (うめままさんのブログ)より
3月末に書いた、「春分も過ぎて。。。」という私の記事を読んで、エリカさんがリブログ記事を書いてくださっています。
読ませていただいたとき、「あれ?私、あの記事に何を書いたんだっけ?」と、思わず自分の記事も読み返してしまいました。なんということはない、農業を通して感じたことを綴った記事でした。
しかし、その文章から、その行間から、私自身を取り巻く環境や、心境が漏れ出ているところがあったのでしょうね。エリカさんの書いてらっしゃることは、ここ数か月、私が書きたいと思っても、なかなか書けずにいたことでした。
こんな風に書けたら、スッキリするだろうな。というようなことでした。
「なんということはない農業記事」というものの中に、実は、いろんな想いが隠されていたりするのです。いろんな想いが思わず溢れださないように、「なんということはない農業記事」というベールを被せてみたんだと思います。
今の時代、これだけSNSが普及している中で、ブログ等で自分の想いや考えを発信されている人は、大勢いいます。その目的は様々でしょうが、ブログに書き綴る言葉が出てくるまでには、そのバックグラウンドに膨大な経験や、それに基づく考え方、感じ方があります。
言ったこと、書いたことを文字通り受け取る素直さも必要ですが、言葉の奥にあるその方の経験・知識・考え方・感じ方を読み取る感性もとても大切だと思います。
エリカさんとは、「ホシゴイ」に偶然遭遇するという不思議体験で、お互いのことを知り、読者登録させていただいた間柄です。(これに関しては、エリカさんの記事に詳しく書かれております)
今、写真を見直してみても、ほんとに不思議。
エリカさんは、記事の中で、欠点と個性・才能、自己否定と他者否定、ということについて書いてらっしゃいます。そして、その関係性が、「指導する立場・指導される立場」に持ち込まれるとどうなるかという考察も書いてらっしゃいます。
面白いのは、「指導される立場」つまり「教わる側の人格の成熟具合」についても書いてらっしゃること。(ちなみに、タイトルにもあるように、エリカさんは「教えることと指導することは違う」とされています。私も、同感です。)
そして、
私(エリカさん)は、この世は「人を"指導"する能力と人格が育っていない人=自分の内面に歪みを持った人に教わる事から生まれる悲劇」に満ち溢れている世界でもある様に感じます。
(・。・;
ここのところ。ですね。世の中には、ブログなどの発信ツールが増えると同時に、セミナーや講座というものも溢れかえっています。
私もルノルマンカード・リーディング初級講座というものを開催してますから、溢れかえるセミナーや講座の数を増やすことに貢献していると言えるのですが。。。
ここで、私自身のためにも、今一度、しっかりと確認しておきたいことは、指導することと、教えることは違うということです。ルノルマンカードを例にとってみると、カードの意味や、リーディング方法を伝えることが、「教えること」です。
では、「指導すること」とは。
実際に生徒さんのリーディング方法を確認し、指し示した方向とズレていることがあれば、間違いを正し、指し示した方向に進めるように導くことです。ここには、指導する側の人格の成熟度合いが顕著に表れます。
「教える」ことは、知識があればなんとかクリアできます。しかし、「指導する」ということは、どれほど困難なことでしょうか。
↑に書いたように、指導することが、「間違いを正す」という意味を含むのであれば、その間違いは、いったい誰にとっての間違いなのでしょうか。そこのところを、勘違いしてしまうと、悲劇が起きてしまうのかもしれないな。。。と、今の私自身は、思っています。
指導するということですが、学校には、生活指導の先生というのがいらっしゃいます。生活指導の先生方は、学校の方針や校則を指針にして、生徒たちの生活態度を指導していく立場です。しかし、その指導方法には、個人としての意識、考え方、感じ方など、その先生の人格も大きく反映されるのではないでしょうか。
私、うめまま現在41歳が学生時代の生活指導の先生というのは、とても怖いイメージがあります。そのころは、怖いくらいの先生が生活指導をするのがちょうどよい時代だったのかもしれません。
しかし、今の時代、怖いだけの先生では生活指導は困難です。生徒や保護者の考え方、感じ方の多様化が進み、怖いだけの指導方法では、違和感を感じてしまうことがあるのもうなずけます。
では、溢れかえる講座やセミナーの場合はどうでしょうか。その講座やセミナーを主催している先生方は、何を指針に指導をしようとしているのでしょうか。
そもそも、講座やセミナーは、「教える」ということに特化したものが多いです。
ですので、例えば短時間で、知識や技術を伝える講座やセミナーを受けるのであれば、先のブログで引用させていただいた、「人を"指導"する能力と人格が育っていない人=自分の内面に歪みを持った人に教わる事から生まれる悲劇」も起こる可能性は低くなります。この【悲劇】が起こる可能性が高くなるのは、ある程度継続的に同じ先生から「教えてもらう」場合です。
何度も書きますが、「教えること」と「指導すること」は、違います。
継続して「教える」ことが続いていくと、その間に、先生が指し示した方向とズレていることに対し、間違いを正し、指し示した方向に進めるように導くという要素が出てきます。つまり、同じ方向を向いて進んで行くということですが、こうなると、それは「指導すること」の領域に入ってきます。
そうなってきたときに、だんだんと、「その講座やセミナーを主催している先生は、何を指針に何を指導しようとしているのか。」が見えてくるようになります。そして、それが見えてきたときに、やはりこの先生に教わりたい。と感じるか、違和感を感じるかに分かれてくるはずです。
この先生に教わりたいと、改めて感じるのであれば、指導する側、される側、同等の立場として一緒に成長できる良い関係を築いて行けるでしょう。
しかし、違和感を感じたときには、一度立ち止まり、自分自身はそもそも、何を教わりたかったのか。ということを見つめなおす必要があるでしょう。そこを放置すると、【悲劇】が起こる可能性が高くなります。
この、「人を"指導"する能力と人格が育っていない人=自分の内面に歪みを持った人に教わる事から生まれる悲劇」は、なにも指導する側だけの問題ではありません。
簡単に指導させてしまう側にも、問題はあるのです。
(次回に)つづきます。
以上、うめままさんのブログのご紹介でした♫
又彼女の記事が更新されたら、私も次回のコラムに続きます♫
☆_(_☆_)_☆
ちなみに、こちらは私が遭遇したホシゴイ(ゴイサギの幼鳥)さん♡
うめままさんも感じていらっしゃる様ですが、私に取ってもこの鳥との偶然の遭遇は、今思い出しても摩訶不思議で異次元を感じる様な体験でした~☆彡
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年