感謝は強要するものではない
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お盆休みが終わり、なんだか風に秋の気配を感じます。みなさまいかがお過ごしですか。
今回は、この夏、ふと耳にした強烈な言葉を、ここで共有したいと思います。
それは、アラフォーと思われる母親が小学生くらいの娘に対し、「健康に産んであげたことを感謝しなさいよ!」と言っていたこと。
私とは何の関係もない通りすがりの母娘の会話だったのですが、思わずギョッとして「ええ?それはおかしいでしょ! むしろ健康な子に恵まれたあなたが感謝すべきなんじゃないの?」とその母親を説教し、娘をかばってやりたくなりました。(もちろんグッと我慢)
実は、私もかつてこれと似たようなことを何度も言われたことがあります。すごく嫌だったのですが、当時は扶養されていたし、親がなぜそんなことを言うのかわからず、モヤモヤしたまま黙ってやり過ごしていました。
今は、承認欲求を満たされていない精神的に未成熟な親が我が子に認めてもらいたいのだとわかりますが、いくら親が問題を抱えていようと、子に感謝を要求するのは筋違いです。
子にしてみれば、親が勝手に産んだわけで、親が子を育てるのは義務なのに、それを感謝しろと言われても納得いかないのは当然です。
そもそも、親子関係にかぎらず、何かをして感謝を要求するのって、どこか恩着せがましいというか、ケチくさいというか、計算高そうというか、なんだか裏がありそうで怖いです。
私は「ありがとう」と「ごめんなさい」を強要されたくありません。だからというわけではないのですが、私はかなり意識的に自分から「ありがとう」と「ごめんなさい」を言うようにしています。言ったほうが自分の気持ちがいいからです。
一方で、頑なに「ありがとう」と「ごめんなさい」を言わない人もいますよね。そういう人に限って、相手に感謝や謝罪を求めることが多いように思います。
私は、親が子に感謝を強要したり、ほめてもらおうとしたり、承認や見返りを求めるするのはとても見苦しいし、してはいけないと思っています。だから、以前二分の一成人式の報道を見たとき、おぞましくて吐きそうになったくらいです。
もちろん、子どもが自発的に感謝を表明するのは大いに結構。感動的なシーンです。
親子にかぎらず、感謝は求められてするものではないし、反対に、感謝されるために何かをするのもいやらしい。感謝は親切の押し売りや大きなお世話、お節介にではなく、善意に対してしたいです。
感謝も親切も、自ら自然に出てくるものでありたいです。