大園 エリカ(クラシックバレエ教師・振付家)- コラム「2021年新年に私が改めて気付いた事」 - 専門家プロファイル

大園 エリカ
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大園 エリカ

オオソノ エリカ
( 東京都 / クラシックバレエ教師・振付家 )
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
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2021年新年に私が改めて気付いた事

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2021-01-03 13:30

前回お伝えした「コラムを更新しても全然画面が動かない」という不具合は、スタッフの方達がお正月休みという事で現在も続いておりますが、幸い投稿は出来ますので、今日もコラムを書かせて頂こうと思います♪


私の今年のお正月は、何故か分からないのですが、いつになく気持ちがとても充実していて、とっても心が落ち着いて"自分自身に寛げる喜悦感"を感じられる非常に穏やかなお正月です♡

(^^✿


この「自分の中から湧き出る喜悦感」というものは、巷で良く言われる「何かに依存した幸せ」というものとは全く質の異なるものですが、その違いを経験から俯瞰で理解できる方というのは、そんなに多くないのかもしれません。


この喜悦感というものは、何にも頼らず"自分の中から自然に湧き出して来るエネルギー"であり、何かに依存して得るというものではない為、自分が幸せを感じる"理由付け"というものを必要としません。


巷で良くお見掛けする光景の一つに、「私はこんなに幸せ」という事をやたら外部にアピールをされる方達が多くいらっしゃるというのがございますが、こういう方達というのは、この"喜悦感"という感覚をまだご存知無い方達なのだなという事を私は思います。

( ・・) ~ ☆彡


何故なら本当に幸せを感じているならば、それは非常に個人的なものであるという事を感覚的に理解できている為、外に向かってアピールする必要性を感じないものだからです。


そしてこれが「その方が本当に心豊かな人間かどうか」を見極める私のバロメーターにもなっています。

(*^^*) ~ ♡


そんな私㋱ではありますが、人間としての経験と学びというのは常に更新されて参りますので、この新年に私は「アッ、なるほど!これはこういう事なのか!」と改めて気付いた事を、今回お話しさせて頂こうかな~と思います。

☆_(_☆_)_☆




今回私が自分なりに気付けたキッカケは、今年も自分に届いた年賀状を読ませて頂きながら、このコロナ禍に対してそれぞれ各々「どの様な反応をされているか?」という事が窺えたというのがありました。


ちなみに今年の私の年賀状は、いつもの様にプリンターを使って自分の気分でチョイスした好きな画像背景と共に、自分の言葉で新年を祝う言葉や文章を短く書いて印刷するという楽しい作業には変わりは無かったのですが、


私は今回の年賀状では、敢えてコロナ禍の事には全く触れませんでした。それはこのコロナ禍に対しての反応が完全に二極化しているという事を、私は熟知しているという事からです。


これは「私からではなくても、真実に気付く人はその方の因果の法則から来るご縁で自力で辿り着ける」という事を私が知っているという事と、


コロナパンデミックを信じ切って、未だワクチン信仰を洗脳されておられる方達には、何を言っても届かないという事も熟知しているからです。


ただいつもと違ったのは、いつもはそうして印刷したものには必ず一言、その方その方に自分で送りたいと思った言葉を手書きで書かせて頂いていたのが、


今回は何故かそういう気持ちになれなかったという事がありました。(※故に今回手書きでメッセージを書かせて頂いたのは、ほんの数人だけになりました)


あ、本題から少し逸れてしまったので、テーマに戻りましょう。

(^^;




そうして頂いた今年の年賀状から私が改めて感じたのは、このコロナ禍が始まってからの10ヶ月間を「コロナへの不安と恐怖に怯え続けて過ごした方達」と、「真実を見破れた分、リラックスして過ごせた方達」という、


それはまるで"地獄と天国"の様に、各々この状況に対して「感じる事には物凄い開きがあるのだなぁ!」という事であり、そして「何故そういう現象が起きているのだろうか?」という事でした。


そして或る法則を見出してしまったのです。


それはやはり宇宙の法則である「因果によるカルマの解消」という現象からなので、恐怖を感じてしまう方達に対しては他者は何もして差し上げる事ができない…


…と言うより、


「その方達はそれを経験しなければ、カルマの解消にならない」ので、他者は見守るよりしょうがないのだという事を悟ったというでしょうか。


この世では「自分が他者に与えたものが、自分が受け取るもの」という宇宙の法則があります。ですのでこのコロナ禍で恐怖を味わっておられる方達に共通するのは、


因果の法則により「且つて自分が責任転嫁をして、自分以外の誰かに苦痛を与えた分、不安や恐怖を味わわさせられている=そうしなければその方のカルマは解消されない」という事なのかもしれないという事に私は気付いたという事です。

(・。・;




本当に宇宙というものは、私達の想像を遥かに超えた様な形で「自分自身を浄化する」という慈悲の恵みを与えて下さっているのだなという事を、今回私は改めて思いました。


そしてこの法則は、自分が他者に与えたものが「その方の魂の向上に繋がるもの=魂が本当の喜びを感じられるもの=真理を知る」という愛からのものであるなら、


そうしたものも、その多くは"自分の想像もしなかった形"で、ちゃんと自分に送り返されているのだなぁ♡という事も、改めて自分に感じられた感謝の一つです。

☆_(_☆_)_☆


ちなみにこういった事は、「楽しさと喜びの違い」というものを人生経験から俯瞰で理解できている方と、そうでない方達とでは、受け取り方というものは全然違うものになるという事も私は思います。(※尚、こうしたものへの解説は、私の過去のコラムで沢山書いておりますので、そちらをご参照頂ければ幸いです)

 

そんなこんなを感じている、凄く感慨深い2021年の私のお正月でございます♫

(*^^*) ~ ♡

 

 

 

 

 

こちらの絵は、もう10年くらい前に購入したカレンダーからのものでございます~☆彡

とても明るく愛らしい風情が有って、今でもとても好きな絵の一つです♡

(*^^*) ~ ♡

 

 

 

今回お伝えした宇宙の法則から来る「因果の法則」というものを熟知している人間は、常に自分が発信するものに自己責任を持ち、「他者に与えたものは自分も受け取る」という事への覚悟を持っています。

 

自分の発するものが「慈愛や慈悲からの行為であるのか?」、それとも「自分の承認欲を満たす為」、或いは「人にマウントする事で自己顕示欲を示す行為であるのか?」「自分のストレスを他に責任転嫁するエゴからの行為であるのか?」という事を、常に自分自身に自問自答しながら、

 

私はいつも自分を信じて、「自分の発したもの=因からの"果"を受ける勇気を持って発信する」という事を心掛けている一人です。

 

そしてこれが本当の意味で「自分を大切にする行為」なのだと私は理解しています。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

では最後に、何だか恒例になって来た最近の私のツイート特集をお届け致します♪

(^^✿

 

 

自分が自分の親友になれた人は、他者に求める事が自ずと減って行く。そういう人間が一番強い。人間は強くなければ本当の意味で人を愛する事はできません。

 

弱い人間は他者に求めるばかりのエナジーバンパイアにもなる。人にもらう事ばかり求める人間は精神的な乞食でもあり、自身に誇りを持つ事は難しい。誇りを持てない人間は自分を愛する事はできない。自分を愛せない人間は、他者を愛する事はできない。

 

最初から強い人なんて誰もいない。でも弱い人間は自分を守る事に精一杯で、そういう想像力が持てない人が多い。何故ならそういう人達は経験から来る理解が浅くて、強くなった人間の裏の苦労が分からないからだ。

 

私がこういう事を伝えるのは、人間は強くなる事でしか自分の人生の苦しみや悲しみを解消する事ができないからです。自分を愛せない人が他者に求める一時しのぎの優しさは、人生の悩みの根本解決にはならない。遅かれ早かれ皆そこに行き着きます。

 

世の中には自分からハリネズミの様なトゲトゲを出していながら、他者に「私を抱き締めろ!」という様な方達がいます。そういう方達は「人から嫌われる」という事を自分が出したトゲトゲ具合に比例し経験しますが、常に自分が傷付かない様に強がり、そういう事に鈍感であろうと必死に努力します。

 

そうして思考で自分が傷付かない様に誤魔化そうとしても、心はそういう人の本音を全部知っています。自分のトゲトゲを自分で気付いて抜かない限り、そうした不毛な精神戦は人生で続いて行きます。常に誰かと戦う=自分と戦うという、とても疲れる人生を歩む事になります。

 

誰もが自分に嫉妬していると思う人はナルシストでしょう。私はこの方の思考癖にはただ呆れるばかりでございます。

 

こうした思考は日本人の方に多いですよね~。これは「自分の事より相手の事を先に考えなさい」という文化から来ていますが、それは「自分を犠牲にしろ」という側面も持つという事も意味します。自分を大事にする事が傲慢と思わされて来た歪んだ文化から起きる悲劇という事も言えます。

 

相手が迷惑と感じるかどうかは相手の管轄なのに、自分の憶測でしかない勝手な思い込みを「優しさ」や「気遣い」と勘違いしてしまう事から生まれる悲劇です。

 

各自が自己責任で出来る事は「自分はこう思う」「自分はこう感じる」という事を伝える事しかなく、他者の感じ方や判断は当人に委ねるという事=自由意思の尊重が大事になります。

 

けれど日本人の方は依存心が強い方が多いので「自分と意見が違う」「自分と価値観が違う」という事を「自分を否定された」と受け取る思考癖から、「傷付く」という事を怖れて本当の意味のコミュニケーションが取れない方が非常に多いです。

 

傷付くという事は「相手を加害者にして、自分が被害者になる」という事です。「これの何処に愛がありますか?」という事を私は思いますが、世の中にはその様な視野を持てず「自分には愛がある」と勘違いされている"傷付いた方達"で溢れ返っています。

 

自分の過去の傷を癒す為の結婚というのは本当の愛からの選択ではないので、いずれ何らかの問題がその夫婦に持ち上がって来るでしょう。相手に自分の幸せを依存した分、自分が苦しい思いをする事になるからです。
そういう事に気付かず依存し続けると、最後は相手を恨むという所まで行きます。

 

世の中にはこの様なご夫婦が沢山おられます。伴侶への憎しみを我が子に向けるというケースもザラにあります。それは「自分が依存した相手から得るものを失いたくない」という心理から来る我が子への虐待行為です。

 

 

 

 

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