大園 エリカ(クラシックバレエ教師・振付家)- コラム「自分以外の何かを神格化し、それを模倣する人生を選んでいる人が気付いていない事」 - 専門家プロファイル

大園 エリカ
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大園 エリカ

オオソノ エリカ
( 東京都 / クラシックバレエ教師・振付家 )
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
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自分以外の何かを神格化し、それを模倣する人生を選んでいる人が気付いていない事

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2018-08-29 07:03

今回のテーマですが…。


これは私が若かりし頃に、当時自分の大先輩とも言える方達の生き方を拝見していて、これは人生の教訓であると自分が痛切に感じた事であり、又つい最近も自分の身近でこういう生き方を選択されておられる方に触れる機会がありまして、


改めてその自分の持っている見解への確信を得るという事がございましたので、今回のテーマにさせて頂きました。

☆_(_☆_)_☆




私達人間というものは、特に幼少の頃は受動的に「自分以外の者(※年上の者や大人)の真似をする」という事から多くの教育が成されます。


そして或る程度の年齢に達すると自発性が出て、自分が尊敬する誰かを見本として学び、その生き方を模倣しながら自分を高めるという成長段階を通る事も普通ではないでしょうか?


ですが魂が健全であれば、或る時期から自己の確立というものに目覚め始め、自分の尊敬するものからも自立する時期が訪れる事で、そこから一人前の大人としての「自分独自の人生の学び」が始まります。

( ・・) ~ ☆彡




所が人によっては、いつまでも自分が崇拝するものに依存し、そこから離れられずに自分のアイデンティティーを見失ってしまう"年齢と見た目だけが大人"という、いつまで経っても精神的に自立ができない「未成熟な生き方に固執してしまう」という大人の方達もいらっしゃる訳です。


この様な生き方をされる方達が抱える心の問題点というのは、実はその方の両親との関係から生まれているとも言われておりますが、ではこの様な生き方を無意識に選択されておられる方達が気付いておられない事とは何でしょうか?


…というのが、今回私が投げ掛けたいテーマです。

☆_(_☆_)_☆




こういう生き方をされる方達は気付いていらっしゃらない様ですが、自分以外のものを崇拝、或いは神格化する事と同時に、表裏一体として生まれるものがあります。


それは「自分が崇拝するものより、自分は劣っている」という無意識の劣等感に蝕まれる事で、絶えず自分を自身で苛む人生を送る事に成ってしまうという事です。

\(◎o◎)/!


でもこれは私からしたら、当たり前の事なのです。


だって仮に自分が崇拝する方が天才と言われる様なパイオニアであったとしても、自分はそれを模倣する人生を選んでいるのですから、


表面を似た様に装う事はできても、それは結局物真似をしている"二番煎じ"という事であり、"真の天才=パイオニア"にはその方は成れないのですもの!


故に自分への本当の自信も生まれる訳がありませんし、本物の実力や誇りも持てるはずもなく、


いつも心の何処かで「自分が崇拝する人を自分から取り除いたら、私の人生には何もない」というコンプレックスと怖れを無意識に抱える羽目になるのですから、当然なのです。

(・。・;



ですがそういう生き方をされる方々は、そういう表裏一体としての心のカラクリに気付いていない故に、その"自信と誇りの欠如"を別のもので補おうとするのです。


別のものがどういうものかと申しますと、それは「激しい承認欲(地位・名誉欲)」「自分の偉大さを誇張したがる傲慢さから、他者を見下し支配したがる」「他者の才能を認めない(※認めても、自分が持っている才能までしか認めたがらない=本物が見極められない)」等々、


そして「人によって顔を使い分ける」というものです。

(◎_◎;)


彼らは"自分オリジナルのアイデンティティー"というものを人生の中に持っていない為に、その裏返しから「自分の凄さを外に強調したがる=自分が崇拝した存在の様に、それを模倣する自分も他者から崇めてもらいたい=人を自分より下に見たがる」という横柄な態度を好む半面、


自分より立場が上の者への媚び諂(へつら)いと、自分より下と認めた中から選ぶ"自分のお気に入りを依怙贔屓(えこひいき)する"という行為が、あからさまに激しいものになります。


それは何故かと申しますと、自分の中に自分の芯を持っていない「他者の物真似コピー人生」を送る様な方達というのは、そうしたバランスを取る事でしか自分が維持できないという心理が無意識に働いているからなのです。


裏を返せば、それだけ自分に自信が無いという事ですし、又それを隠す為に「自分の方が上」というスタンスを他者との関係性の中で好む為、自分の拘りには異様に執着する頑固者であったりも致します。


でも実はそのくらい、自分の選んでいる生き方が生んでいる「自分が尊敬するパイオニアの人を神格化する=パイオニアの人に私は敵わない=パイオニアの人を私の人生から取り除いたら、私には何もない」というコンプレックスが、絶えず自分自身を傷付けているという事の裏返しでもあるという事です。

(^^;;




こういうコンプレックスを持たれた方達は、会話をすればすぐに分かります。…と言うのは、彼らは「被害者意識が強く、責任転嫁が得意」という思考癖を持っているからです。


ですので彼らには「相手の顔色を見て、言う事が人によりカメレオンの様にコロコロ変わる」「自分以外の思想や意見を持つ相手とのまともな会話=大人のディスカッションができない」という特徴があります。


例えば誰かが「こういうやり方もあるのでは?」と、一つの提案をしたに過ぎない事でも、自分が無い故に「そう言われたから、それ以外できなくなる」とか、「そうしろと強制された」という様に、被害妄想的に思い込んでしまう思考癖を持っているという事ですね。


自分を持たない人達というのは、心根にそういう被害者意識がある為に、「人から傷付けられる」という事を異様に怖れるあまり、「他者の色々な意見を聞いて、その中からベストのものをチョイスしたり、そこから新たなアイディアを生み出す」という余裕がない方達でもありますし、


その様な被害者意識を強く持つ彼らは、「〇〇のせいでできない」とか「〇〇によって傷付けられた」という思考を常に好む為、何でも人のせいにする=自己責任を取りたがらない=言い訳の天才というのが大得意な人達でもあるのです。

(・・;)




ちなみに"本物"と言われる方達は自分に自信があるので、"誰"が出したアイディアなどという所に固執せず、良いものや面白いものを生み出す為に、誰のアイディアであっても「良いものは良い」と素直に取り入れられる柔軟性があります。


そして又、自分に誇りと自信がある人は、そういう相手に対して対等に敬意を持ちますが、そうでない方というのは自信の無さの裏返しとして、全てを自分の手柄としたがる故に"美味しいトコ取り=人から盗む事や利用する事"を得意とされるという特徴があります。


そしてこれは私の思う事ですが、"本当の天才"というのは、モーツァルトの様に「書き直しが全く必要ない完璧な作品を、最初から一発で生み出してしまう」という様な資質が備わっているものなので、


他者が口を挟む必要や、改善や修正などが全く必要のない、非常に合理的で無駄のない完成度の高い作品を最初から生み出せる領域の方達なのではないでしょうか?

\(◎o◎)/~☆彡☆彡☆彡




…と、ちょっと話が逸れてしまいましたが、


つまりこの様に自分以外のものを神格化し崇拝する事で、自分のオリジナルの人生を生きていない方達というのは、必然的に「自分が崇拝する存在が持つ思考と行為の受け売りで生きる」という人生に成る訳ですから、


いつの間にか「自分の頭で考えなくなってしまっている」という事に、自分で気付けなくなるという所が大変怖い所でもあるのです。

(◎_◎;)


だって「自分の頭で考えない」という事は、反対から見れば「自己責任を回避できる」という事でもありますからね~。

(・_・;)


つまり何かあった時に、自分が崇拝しているものを持ち出せば「人を説得できる・言い訳できる・言い逃れできる」と思っているという事でもありますから、これは自分に責任を取りたくない人達には一見とても都合が良いですし、そういう生き方を楽と思っている様ですが、


ところがどっこい、私達人間に働く宇宙の法則というのは「成長する事=自己責任を持つ大人になる」という所が要になっている訳ですので、因果の法則から考えても、結果的にはとても苦しいものをそういう方達は得る事になってしまうという事なのです。




…と、まぁ、こうした事を私がお節介にこうして色々述べた所で、結局はこういう真実も、個々に「自分で気付いて行くしかない」のですけれどね~。(笑)

(^^ゞ


でもこういう真理には、遅かれ早かれ「気付かなくてはならない時期」というのは私達人間には必ず訪れるものなので、「気付くのが早い方が、傷が浅くて治療も楽ですよ~」という事は言えると思います。

( ・・) ~ ☆彡






空って、毎日違う表情を見せてくれる存在ですが、それが当たり前と思い「あぁ、空よね。知っている」と感覚が慣れてしまうと、感動する心は薄れて行きます。


それって、私達が人生で大事なものを見失っている時と同じですねぇ…。

(^^;(^^;(^^;(^^;(^^;;;




先述した"美味しいトコ取り=人から盗む事や利用する事"を得意とされる方=本物の自信のない方=自分の本来生きるべき人生を生きておられない方というのは、実は自分が崇拝する存在に対しても、同じ事(※崇拝するものを自分の為に利用)をしている方でもあるのです。


つまり利用する側が、単に自分の為の"虎の威を借る狐"に成ってしまうと、それは本当の敬意ではなく、非常に不健全なものになってしまうという事ですね。


その方が本当に自分が神格化する方に対しての敬意があるならば、そういう存在を自分の為に利用するという事はしないものですし、又神格化される方も本物であれば、そういう行為を喜ぶ事はないという事が言えますが、


そういう方達の見分けが難しいという方は、そのバロメーターとして


★その方が自分の言動に対して、誠実さと自己責任を持っているか?いないか?

★受け止め方に"被害者意識"という思考癖を持っているか?いないか?


という所を観てみれば、それは一目瞭然だと思います。

(^^✿




つまり「神格化される方」も「神格化する方」も、依存心がなくお互いが自立できていて、それぞれのオリジナルな個性から生まれるアイデンティティーを大事にする生き方をされていなければ、


本当の意味で「他者を敬う」という、美しく気持ちの良い行為にはならないという事なのです。

☆_(_☆_)_☆







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