大園 エリカ(クラシックバレエ教師・振付家)- コラム「今までに無い、ちょっと不思議で怪奇的な匂いのする「くるみ割り人形」でした ②」 - 専門家プロファイル

大園 エリカ
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大園 エリカ

オオソノ エリカ
( 東京都 / クラシックバレエ教師・振付家 )
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
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今までに無い、ちょっと不思議で怪奇的な匂いのする「くるみ割り人形」でした ②

- good

2016-09-06 12:51

さてさて、それでは今回は西本智実さん(世界的指揮者)の手掛けられた新演出の「くるみ割り人形」第二幕の方の感想に参りましょう♫

☆_(_☆_)_☆

 

「火の試練 (大人と子供の戦い)」と「水の試練 (雪の女王から受けた試練)」をクリアしたマリー(クララ)が、ドロッセルマイヤー、そして命を宿したくるみ割り人形と共に、長年に渡り(※原作では15年以上となっている)世界中を旅するという設定で、

 

マリーはその途中に郷愁の念に駆られ、そこで「沈黙の試練」を乗り越えた所で、遂に新しい世界である「コンフィチュランブールの魔法の宮殿(※通常では「お菓子の国」とされている)」に辿り着くとなっています。

 

二幕で民族舞踊として踊られるスペイン・アラビア・中国・フランス・ロシアなどは、マリー達が訪れた国々である一方、西本さんは「ヨーロッパから見た18~19世紀の世界の縮図」として捉え、演出された様です。

 

★かつては太陽の沈まない国と呼ばれた帝国「スペイン」

★繁栄するイスラム世界「アラビア」

★アジア方面へと広がる植民地政策「中国」

★農奴制が続いていた革命前の「ロシア」

★多産の象徴であるハプスブルグ家が、領土を広げる為の政略結婚で関わった「フランス」

 

そして通常の演出ならば、この物語の最後は「マリーが見た夢」として、目覚めたマリーが夢の余韻に浸りながら幕が閉じるのですが、今回の終わり方は、それこそ日常生活で普通にある様な「非常に現実的な目覚め」の演出であるにも関わらず、やはり「時空を超えた時間軸のズレ」をここでも感じられる様な余韻を残す、摩訶不思議な終わり方でした。

 

それは幕切れで、パーティーの後もジルバーハウス家(※通常ではシュタールバウム家 = マリーの家)に残っていたドロッセルマイヤーが、目覚めたマリーが母親と会話した後に、何事も無かったかの様に改めて「くるみ割り人形」をマリーに手渡すのですが、

 

マリーの中では「以前と同じ経験をしながら、最初とは違う感覚 = 自分が夢 (彼女の中では、現実でもある?) で経験した試練の旅を回想する」かの様で、私はそこに「ちょっと複雑なマリーの心境」というものを感じ取りました。

(※これを書いていて、私が今ふと思い起こされたのは「デジャヴ」という、やはり時空を超えた摩訶不思議な現象を人生で何度か経験した時の事ですね~。皆様の中にも経験された方は多いのでは?)

 

ちなみに今回の西本さんの演出は、プログラムを読んでもハッキリとした答えはありません。

それは「あなたはどう感じますか?」という様に、その人、その人が自分の経験と感性から、各々が好きに解釈できるスペースを残す様な演出を、敢えてされているのを私は感じましたね~。だから観る人によっては「???」という事も、きっとある事でしょう。

 

そこかしこに色々な象徴や暗示的なものを演出されていて、まるで何かを投げ掛ける様な、又は観るものに謎解きを楽しませる様な、とても摩訶不思議な「くるみ割り人形」。

見終わった私には、そんな風に感じられました。

( ・・) ~ ☆彡&★彡

 

 

では「この舞台の演出をされた西本さん自身は、何を感じてこの舞台を創ろうとされたのか?」という所に、私は興味が湧いて参りますが、プログラムの中で唯一「彼女自身が感じて伝えたいもの」を想像できる文章がありますので、ここにご紹介致します。

 

 

「ドロッセルマイヤーと、サン・ジェルマン伯爵」

(※プログラムより抜粋)

 

「この物語のキーパーソンは、ドロッセルマイヤーであり、彼がこの舞台のすべてを創っているようにしたい。私の中では、この舞台で描くあらすじとはまた違った役割を彼に担わせています。彼は、普通の一般人とは違う時間軸を知っている存在です」

つまりこういうことだろう。

「くるみ割り人形」の世界では19世紀初頭のニュルンベルクに現れ、少女マリーを新しい世界へ誘ったが、また別の時代では別の人物にかかわっている。タイムマシンを手にしたがごとく、時空を自由に行き来できる人物。まるでSFだが、そのような男が実は18世紀のヨーロッパに実在した。サン・ジェルマン伯爵である」

 

 

この解説を読んで、私は今回の「くるみ割り人形」で、演出家の彼女が伝えたかったものは何だったのか?の一つの答えが窺がえた様に思います。

(^^✿

 

"時空を超えて現れる存在"には「聖人的」な存在と「悪魔的」な存在がいますね?

摩訶不思議なものには、常に「神秘」と「懐疑」とが、隣合わせにあるものです。

 

そしてこれを二元的に捉えるか、又は「二つは一つ」として捉えるかは、やはり"私達一人一人の中に在る"という事だと、私は解釈しています。

( ・・) ~ ☆彡&★彡

 

それにしても「こんなに色々な事を哲学させてくれる舞台は、そうそう無い!」というのが、今回の私の正直な感想です。(一つの時間軸に囚われている頭の固い人達には、訳の分からない作品にもなっているという事かもしれません)

個人的にはとても興味深く、奥深く面白い作品で・し・た♫

(*^^*) ~ ✿✿✿

 

 

 

 

 ※プログラムより

 

これは西本智実さん自身がドロッセルマイヤーとして描かれていて「とてもハマっているなぁ!」と私は思いました♫ (彼女には、どこか宝塚の男役の方が持たれている様な、華やかでセクシャリティーなオーラが在ります)

 

 

 

では最後に、今回の舞台の振付けや、個々に踊られたダンサーの方達の印象などを、私の専門的な眼で語らせて頂きましょうか。
(^^ゞ

 

まず振付けは「構成」としては、作者の意図というのが伝わる様に、とても良くできていたと思います。

しかしながら、振付け自体は全体的に悪くはありませんが、正直音楽性に乏しいと感じられる箇所が多く見られ、「そつなく無難にキレイではあるが非常に平凡で、時に盛り上がりに欠ける」という印象であったのは否めません。

 

例えば、雪のシーンや花のワルツのアンサンブルなどの使い方も、時々はもっとシンプルな構成で作る部分もあった方が散漫な感じにならず、他の部分が生きて来るのでは?と感じる部分が多々ありましたし、二幕の各国のキャラクターの踊りも、全てではないですが、やはり全体的にはイマイチ平坦で盛り上がりに欠けていました。(特にスペインやチャイナなど)

 

もし"品良く作る"という、頭で意図して作られたものが振り付けのコンセプトにあるとしたら、それは観客を飽きさせるという事もしばしば起こりますので、その辺は振付者とダンサー達の音楽性、そして力量とセンスにかかって来るのだと思います。(※個人的には「音楽的にこんなに盛り上がっているのに、その音楽と一体感を感じられない振付けがされていて、非常に勿体ない」という印象を、要所々々で感じました)

 

 

そして個々のダンサー達に付いての個人的な感想ですが…。

この舞台の主役である「ドロッセルマイヤー」を演じた方は、良いダンサーではありますが、ドロッセルマイヤーというキャラクターの持つ「神秘性」や「カリスマ性」というものには乏しく、正直存在感は非常に希薄でした。(※カリスマ性の在るダンサーというのは、舞台のどこにいてもパッと目につく華やかさやオーラが有り、観る者を惹き付けます)

 

主役の「マリー(クララ)」は、演技も上手くルックスも相応しく良いダンサーではありますが、個人的な好みで観させて頂くと、少し手馴れた感じ、つまりマリー役には"トウが立ち過ぎている"感がありました。
(※プロダンサーとしての"ベテラン感"が出てしまうと、マリーの様な繊細な少女の役などを演じる時には、それが邪魔になる事があります。そしてこれは必ずしも実際の年齢的なものからという訳ではありません。舞台人には実際の年齢と関係ない「舞台年齢」や「実際の年齢を補う演技力」というものがあるのです)

 

それと「くるみ割り人形」を演じられたのはロシア人の男性の方ですが、女性をサポートする場面ではちょっと雑で何度かヒヤヒヤさせられる場面があり、そういう意味では「日本人の男性ダンサー達」の親切で誠実な舞台人としてのマナーの良さが引き立っていたとも言えます。(笑)

 

あと二幕のキャラクターダンスですが、スペインをソロで踊られた女性は、いまいちスペインの情熱的なパワフルさに欠け(※これはキャラクターダンスに於いて、いつも日本人ダンサーが指摘される弱点でもあります)、又振付けもおとなしく平凡で私には物足りなく、

 

チャイナとあし笛でそれぞれソロを踊られた女性は、個人的には私好みの女性らしい楚々としたチャーミングな個性があるのですが、ソツのない所謂キレイな振付けではあっても、どちらも盛り上がる部分が無く(音楽的でないとも言えます)、その為に彼女達の個性が生かされ切っていない様な残念な印象を受けました。

(※又はダンサーがテクニック的にそういう技量を持っていないから、無難な振りを付けたかのどちらかでしょう。でももしそういう"無難な守りの姿勢"で仕上げた振りだったとしたら、そこに"挑戦"というレベルアップのパワーが無いので、「観客にはつまらなく感じて当たり前」になるので難しい所ですね)

 

その様な振付けの傾向の中でも、私が個人的に魅力を感じ印象に残ったのは、「アラビア」を踊られた女性二人(※特に背の高いダンサーの方)と「トレパック(ロシア)」を踊られた男性二人です。(こちらの踊りには、それぞれ華かさと音楽性を感じられました♫)

 

そして「子沢山のジゴーニュ(ギゴーニュ)おばさん」のスカートから沢山出て来る子供達の踊りや、一幕の「雪」のシーンでコーラスを歌うジュニア(少年少女)合唱団の子供達の歌声などから伝わって来る「大人が失っている美しさ」というものは、大よそどの「くるみ割り人形」でも云わずもがなの魅力でございます。(笑)

 

「雪の女王」と「金平糖(ドラジェ)」を踊られた方達は、それぞれ適役であったと私は思います。
それぞれのシーンで彼女達は主役として相応しい華と品があり、個人的にはとても好きでした。
(※今回の舞台で一番"華"を感じたのは金平糖ですので、この配役は正解だと感じました♫)

 

 

…と、これはあくまでも個人的な感想ですが、

今回の舞台は、根底に演出家の表現したいテーマがしっかりと在るものなので、全体的には非常に良くできた大変奥の深い作品に仕上がっていると思います。

 

ですので、もっと音楽を感じられて盛り上がる振付けと、人を不思議な世界に誘うオーラとカリスマ性の在るドロッセルマイヤーなどが演出されれば、この新演出の「くるみ割り人形」の魅力が更に増すであろうと私には思えた公演でした。

 

作品的には斬新であり、大成功!

でも「バレエの舞台としては凡庸」であったというのが、正直な私の感想です。

( ・・) ~ ✿

 

ちなみに、何より今回の舞台が普通のバレエ公演と一番違っていたのは、通常は「縁の下の力持ち」的な存在である指揮者が、今回の舞台で一番の華であった事でしょう!

 

世界的指揮者という肩書きからだけではなく、西本智実さんという方が持つオーラとカリスマ性から来る存在感には、正直今回ダンサー達は負けてしまっていたとも言える公演ではなかったでしょうか。
通常は、バレエの舞台での一番の華はダンサーであるので、こういうケースは非常に珍しいと思います。

 

でも、これも「観に行きたいと人に思わせる、魅力的な舞台」として立派に成立しています。
現に私もその一人でしたからねぇ!(笑)

 

ちなみに、もし西本さんがドロッセルマイヤーを演じたら、キャラとしては物凄~~~くハマる気が致しますが、そうすると指揮ができなくなりますね~。(笑)

 

あ、今思い出した事ですが…。

私は今回初めて彼女の生で指揮される音楽を聴いたのですが、今回のチャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」では、わりとゆったりめに大らかに音楽が奏でられているのを感じました。

 

そのせいなのか、はたまた舞台のスペース上の問題からなのかは分かりませんが、今回の舞台は「踊りの最後が音楽に合っていない=ダンサーが音が終わるのを待ち切れず、音より先に踊り終わってしまう」という現象が数回ありましたので、私はちょっと気になりました。

 

これは、私自身はバレエ教師から「踊りの始まりと終わり (舞台の登場と退場含む) の大事さ」を徹底的に叩き込まれた経験があるからです。ここはプロの舞台人として絶対外せない、とても重要なポイントという事なのです。

 

そこで元プロバレエダンサーとしての自分の経験から思い出されたのが、「指揮者側」からと「ダンサー側」からの、バレエに於ける音楽に関する感覚の問題です。

 

これは、お互いの歩み寄りが必要になる場合が常で、そこに「ダンサーの力量」であるとか、「指揮者の柔軟性」みたいなものが大きく関わって来るのですが、これを話すと独立したコラムが一つ書けてしまいますので(笑)、又の機会に致しましょう♫
(^^✿

 

 

それでは次回も今回の舞台の感想として、今度は私独自のちょっとユニークな視点からの「番外編」をお届けしようと思います♡

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

 

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