大園 エリカ
オオソノ エリカ「感動」と「皮肉」 (幸せはいつも自分の心が決める)
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大人の皆様は、人からでも、物からでも、経験からでも、美しいものには単純に感動できる三歳児の様な瑞々しい感性を、未だに失わずに自分の中に持てていらっしゃいますか?
(*^^*) ~ ☆彡
お陰様で私は芸術家の端くれとしてこの様な新鮮な感性を自分の中で失った事が無いという、とても幸せな人間でございます♫
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真に善良な人間というものは本物の美しさを持つ人や物、そしてこの世の真理に触れた時には、単純に理屈ではなく自分の中から湧き立つ喜びやワクワクする感覚を持つものであり、それは人間が人間らしく生きて行く上で何より一番大事な事ではないかと私は思います。
だって私達がわざわざ波動の重い肉体というものを持ってこの世に生まれて来た目的というのは、「色々な感動を味わう為」なのですから。
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三歳児でも分かる美しさや、人が何かにひたむきに努力したり感動をしている姿を冷めた目で見て、捻じくれて皮肉的にしか捉えられなくなってしまった人は、「心の若さ」というものが完全に失われてしまった方達です。
そういう方達は「自分の人生に絶えず不満を持っている」という方達でもあり、表現される事が不平不満や人の粗探しばかりになる傾向がありますが、何か人生でそんなに辛く満たされない思いがお有りなのでしょうか?(笑)
その様な方達は「人が努力から得たもの」や、自分ではない「他者が賛同を得る事」、
そして「人が感動する事」に対して、常に穿った見方でしかものが見えなくなってしまった方達なのですが、結局そこに在るのは「その方の "心の内面" が現れている」という現象に過ぎません。
(^^;
この様な内容は以前、
「自分の口から出る言葉は、実は自分に対していつも感じている事」(2015.4.20.)や、
「相手の話のどこにフォーカスするか?(私達は自分の心を相手に投影する)」(2015.6.16)
のコラムでも私はお伝えした事がありますが、
何かに触れた時に「どこにスポットを当てて見るのか?」というものをクールに観察してみれば、その方の「お人柄」というものが読めて来るものです。
( ・・) ~~~ ☆彡★彡
「人に感動や共感を与えられる人間」と「皮肉なものの見方で周囲の波動を下げ、人に不愉快なものを撒き散らす人間」のそれぞれの心の底に在るものは、結局「人が好きか嫌いか=自分が好きか嫌いか」という事しか無いのですね。
その方の口や文字から発せられた言葉や表現は、正にその方が内面に持っているものを垣間見るバロメーターになるという事です。
(^^✿ or (^^;
北風で無理矢理人のコートを脱がそうと思っても、人と言うのは正直で、その様なものには魅力を感じないものですね。
自分の意見を「私はこう感じている」と自己責任で伝える事はあっても、上から目線で人に対してそれを押し付けて来られる様な表現をされる方は、やはり人から敬遠されてしまうものだと私は思います。
できれば私は「太陽」の様な存在に成りたいですね~。
だってその方が、自分が気持ちが良いですもん♫
(^^☀
自分の内面に心地好さを持っている人だけが、人に気持ち良さを伝える事ができます♫
私達は誰もが例外無く「自分の中に無いものは、人には与えられない」のですから。
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
人生に色々な事があるのも皆同じです。
大変な事が無い人なんてこの世にはいません。
私達は「この世に生きる」という同じ条件の元、皆一生懸命に生きています。
この世を天国にするか、地獄にするかは、誰もが「自分次第」だという事ですね♫
(^^☀ or ???
(※「しあわせはいつも」より 相田みつを 著 より)