大園 エリカ
オオソノ エリカそっとしておく
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余計なことだったかな
うん、余計なことだったな
頼まれもしないのに 勝手に先回りして…
こっちは親切のつもりで やったことだけれど
当人にとっては余計な〈おせっかい〉だったかも
そっとしておくことが 一番よかったのに
親切という名のおせっかい
そっとしておく思いやり
慈善という名の巧妙な偽善
まだ青い稲の上をわたる 風の行方を見ながら
ひとりつぶやく朝でした
(※「雨の日には…」 相田みつを 著 より)
この空の美しいブルー・グラデーション ……
…… 好き♡
(^^♫
私は職業柄、過去外国にも沢山ご縁があって色々な国で色々な人々と交流させて頂いた時に感じたのは、
「あぁ、ここでは深呼吸ができる!」「自分らしくシンプルに正直に、素直に表現ができる!」という事でした♫
それは彼等は精神的に (少なくとも多くの日本人より) 自立できているので、"放っておいてくれる優しさ" というものを持っていたから、私がその様に肌身で感じられた事なのだと思います。
それは「相手を尊重している」という事の裏返しでもあるからです。
( ・・) ~ ☆彡
「日本人は親切」と良く言われますし、実際色々な国に縁のあった私は「それは確かに事実である」と実感も致しますが、
でもその親切は相手の為というより「自分の為にしている」という事も、特に日本人の方達には多い気が致しますねぇ、正直言わせて頂くと。
その証拠に、大の大人であってもお互い「他者からの優しさを強制・強要する」という、依存心の強い稚拙な面が文化の中にありますからね、日本は。(笑)
(・。・;
そしてその様な交流は、私には「大の大人同士であってもお互いに相手のお守りを仕合っていて、その過度な相手のお節介に、実はお互いが疲れている」という、何とも疲れる人間関係になっている事が多いというのが透けて視えます。
(^^;
ちなみに「人の為に!〇〇の為に!」と誇張する方に限って「自分の為の "慈善という名の巧妙な偽善"」になっていないかを (※それって大概は、ビジネス絡みの自分のイメージ作りであったりという事も多いです)、内観する必要があるかもしれないですね。
だって本当の慈善とは、目の見えない所でするというのが本物ですから…。
( ・・) ~ ☆彡
ついつい「自分を善人に見せたい」とか「何かの見返りを期待してしまう」習性を持つ私達人間は、本当の意味での "慈善行為" というのは、なかなか難しい行為だというのが事実でありましょうか。
(・_・;)
偽善とは思わずに "自己満足のナルシストな行為" に陥っているという事が多々ありますからねぇ、私達は!? (汗ッ)
(^^;;
「誰かの為!〇〇の為!」というのは、本当は誰の為?
本当は皆、「自分の為」にしているというのが、真相ではありませんか~?(笑)
ちなみにその様な事に気付かれておられる方の行為は、少なくともナルシストの方達よりは謙虚で偽善的ではありません。 (笑)
(^^;(^^;;(^^;;;