大園 エリカ
オオソノ エリカ自信過剰という病気 (あなたが感じている様に、相手も感じているとは限らない)
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この世には "自分の感じている様に相手も感じている" かの如く、
何でも断定的に「これはこうだ!」「こうだからこう感じる!」と、あたかも他者が自分と同じ様に感じていると思い込んでいる様な表現される方がおりますね?
でもそれは、実は相手に取っては「大きなお世話」で、非常にお節介な事なのです。
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そう感じたり思うのは相手ではなく、それは只「自分はそう感じている」という事に過ぎません。
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感じ方は皆、千差万別です。
でもそれを浅くしか理解できずに、(それが無意識であっても)「自分がそう感じているから、相手もそう感じている」という勘違い妄想がある方が「自信過剰」という病気になれます。
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そしてその病気が「自分の考えや感じ方が一番正しい」という妄想を生むので、その様な断定的な表現ができてしまうという事でもあるのですね。
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そしてこの様な表現をされる方は、あまり人から賛同を得られない場合が多くなってしまうのが何故かと言うと、
それはご自分の経験のみの狭い視野だけで断定的に決めつけて伝える事により、相手に「感じ方の自由」というスペースを与えない表現になっているからです。
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人は "他者からの押し付け" というものには拒否反応を示す習性があるのです。
何故ならその様なものには「自分の自由」を感じられないからなのです。
自分に自由を与えられないものに、人間が好感を持つという事は無いのです。
ですのでそういう表現者の方は、自分と似たタイプの人間に熱烈に支持されたりする事もある反面、反発や批判も多く浴びてしまうという傾向が強い様です。
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こういう方は人間としてとても未熟でもあり、相手に対しての「想像力」というものを持てないのですね。
それは人生の経験不足から来ている「感受性の鈍さ」から来ているのですが、つまりそれは「まだ感受性が "繊細" ではない」という事なのです。
人間の感受性は、高いほど繊細になって行くのです。
感受性とは「他者の事を、自分の事の様に感じられる感性」でありますから、「自分が感じている様に、相手も感じている」という自分本位の勝手な妄想を、他者に一切持たなくなるのです。
成熟した人間ほど「謙虚さ=豊富な人生経験から得た他者への想像力」という素敵なものを身に纏う様になって行きます。
それが "本物の自信" を持っている人の「品格」になって行くのです。
「品格」とはエエかっこしいして気取るなどという事ではなく、
「千差万別の価値感を持つ他者の事を、それぞれの相手の立場になって思い遣れる」という能力ですから…。
そんな素敵な生き方を、私達はしたいものですね。
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
太陽が出ているのに、何故か暗いイメージの写真ですねぇ…?
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自信を持つ事は良い事ですが、過剰な自信は「過ぎたるは及ばざるが如し」です。
「自信過剰」という病気の裏に在るのは、実はその方の内面で大きく幅を占めている「不安」というものの存在です。
その不安を自分で打ち消す為に、他者に対して自分を大きく見せようと虚勢を張る姿が「自信過剰」と言われるものなのですね。
周りからはバレバレなのですけれど、こういう方はご自分を客観視できませんから、いつの間にか "道化師" みたいになるケースも多い様です。
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そして又、こういう方は相手から求められてもいない場合でも、他者に対して過剰なまでの
「余計なお節介」「偽善的な思い遣り」「独り善がりな親切」を好むというのも特徴ですが、
それはご自分の中の「不安」がそうさせているだけなので、いつも大事な何かがすっぽ抜けているという "的外れな行為" に成ってしまっている事も多い様です。
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